菅田将暉「この映画が自分にとって“やらなければいけない”作品である理由」
── ええっ。それはものすごいプレッシャーだったのでは……。 菅田 たまったもんじゃないですよね(笑)。仮面ライダーが俺のせいで終わったと言われたら、もう末代までの失態だ! みたいな。だから、ないなりの頭で必死に考えるわけです。自分の見え方についても、そこでかなり考えたのがいい経験になっています。 ── その後、2016年は映画だけで9本の出演作が公開されるなど、20代は猛烈な勢いであらゆる作品に挑戦。自ら「修行時代」と語る時期を経て、今はどのように作品を選んでいるのでしょう。 菅田 今も同じように修行の気持ちはあるし、精神的に“一歩一歩上がってる”という感覚は変わってないです。ただ、今までのように全部には時間をかけられない。 お話をいただく作品には、自分が「面白いな」と思うものとは別に、“やらなきゃいけないもの”というのがあると思っているんです。だからまずはそれをやる。そして次に、自分が「面白い」と思えるものをやる。それだけで、時間はいっぱいになっちゃう感じです。 ── 今、「やらなきゃいけない」と思っているのは、どのようなタイプの作品ですか? 菅田 『Cloud クラウド』のお話が来た時は、まさにそう思いました。もちろん、黒沢組に出たかったし、脚本もすごく面白いのですが、それとは別に、そう感じた理由があって。僕は19歳の時、「これはやらなきゃ!」と思ってオーディションを受けたのが、青山真治監督の『共喰い』という映画なんです。 ── 濃厚な血の因縁と性が描かれた作品ですね。菅田さんは、この作品への出演と現場で過ごした時間が、俳優としての転機になったと過去のインタビューで語られています。 菅田 その後、青山監督とは、僕が30歳になる手前の29歳ぐらいの時に1本映画を一緒にやろうと前々から話してて、実はその企画が少し動き始めてたんです。でもそんな中で、青山監督が亡くなってしまって……。 青山さんと20代最後の映画を撮るために、自分は20代の間ずっと修行してたのに、おい、ふざけんな、できねえじゃねえか! と思いながら青山さんのお葬式に行って……。これからどうしよう、と思っていたところに今回のオファーが来たんですよ。 僕は青山さんと黒沢さんの深い繋がりも知っているし、黒沢さんと(10年ぶりに)再会して何言目かにはやっぱり青山さんの話題になる。俺も話したかったし、話せる人もなかなかいないし、そこで救われた気持ちにもなって、やっぱりこれはやるべきなんだな、という思いを深めた感じでした。役って不思議で、そういう出会いがいくつもあるんです。