「私は白です」乱れる筆致、そして意思疎通はかなわなくなった 無実の訴え届かず死刑確定、袴田さんがつづった数千枚の獄中書簡
「僕は犯人ではありません。僕は毎日叫んでいます」。1966年の静岡県一家4人殺害事件で逮捕、起訴された袴田巌さんは家族に宛て、こう書いた。48年間の拘束期間中、袴田さんが毎日のように書いた手紙やはがきは数千枚に上る。無実の訴えは届かず、死刑が確定。獄中でペン習字を始め、身に着けた端正な筆致は乱れ、内容は支離滅裂に。やがて姉との面会もできなくなった。2014年、裁判をやり直す再審が認められ釈放されたが、長期間の拘束による影響で幻覚や妄想などが生じる〝拘禁症状〟のためいまだ意思疎通は難しい。事件から58年。今年9月、待ち望んだ再審無罪判決が言い渡される見通しだ。冤罪への憤りと死刑執行への恐怖が袴田さんの心身をいかにむしばんだか。肉筆の獄中書簡からたどる。(共同通信=今井咲帆、柳沢希望) 【写真】死刑囚「じゃあね」最後の食事、最後の言葉は… 「ただただ、胸が張り裂けそう」
※手紙やはがきの表記は原則原文のまま、一部は共同通信の表記に変更したり、伏せ字にしたりしています。 ▽強いられた「自白」 事件が起きたのは、1966年6月30日未明のことだった。静岡県清水市(現静岡市)のみそ製造会社専務宅が全焼し、焼け跡から刃物で刺された専務(当時41)と妻(同39)、当時17歳と14歳の子どもの遺体が見つかった。約1カ月半後の8月18日、静岡県警はみそ工場に住み込みで働いていた袴田さんを犯人とみて逮捕。袴田さんへの取り調べは猛暑の中で連日長時間続き、過酷を極めた。 静岡県警の倉庫で見つかった取り調べを録音したテープには、逮捕直後、容疑を否定する袴田さんに、係官が「死んでいった4人に謝ってみろ」「おまえは4人を殺した犯人である」などと繰り返す様子が残っていた。袴田さんの口数が減り、ほとんど無言に。「心を決めて話す気になりなさい」などとたたみかけられた。袴田さんが「小便に行きたいです」と求めたが、取り合ってもらえず、取り調べが続いた。別の係官が「便器もらってきて」と頼み、袴田さんが用を足す音が残っていた。一言も発しない袴田さんに係官2人が「泣きなさい。袴田。そして謝罪をしなさい」と言い立てた翌日、袴田さんは「自白」を始めた。