愛されつづけた唯一無二のパンダ、タンタンとの思い出を語りつくす!「#ありがとうタンタン」イベントレポート
「タイヤをぶん投げる」おてんばタンタンとの思い出
兼光さんと同じく来園時にタンタンを出迎えたのが、坂本健輔(さかもとけんすけ)さん。いろいろ準備をして待っていましたが、最初は春に来園予定だったのが夏にずれ込んだため「本当に来るの? いつ来るの?」と不安になったのだとか。 タンタンのオリをハンドリフトで運んだときに、はじめてタンタンを見て「こんなにかわいくて、小さいのか」と思ったのだそう。来園した日は2頭とも1時間くらい落ち着きがなくて心配でしたが、その後モリモリ竹を食べ始めて安心したこと、神戸市長が様子を見に訪れたことを話してくれました。 夏の暑い時期に来たため、屋内で過ごしていた2頭でしたが、中国の飼育員のアドバイスで、開園前に1時間ほど外へ出すことに。おてんばなタンタンはやりたい放題で、タイヤをプールに放り込んだりしてドロドロになって帰ってきます。観覧時間になってお客さんに「パンダってこんなに茶色いんや」と言われていたそうです。 2002年にはサッカーの日韓ワールドカップがらみのPRにタンタンと出演することに。サッカーボールと同じ白黒ということで白羽の矢が立った模様。ポスターになって三ノ宮にも貼られたそうですが、坂本さんはこのとき「ものもらいで目が腫れていた」と、斜め上の思い出を語り、会場は笑いに包まれました。 2020年から再び、チームタンタンとしてタンタンに関わったという坂本さん。「タンタンがいた24年間、たくさんのファンができて園を盛り上げてくれた。タンタンの世話ができてよかったです」と結びました。
「公開できてよかった」階段作りの証拠動画
2009年から最後までタンタンを担当したのは、吉田憲一(よしだけんいち)さん。この日は「言うことないなぁ」とファンの笑いを誘った後、外のやぐらの階段の改修について。撮ったもののお蔵入りになっていたという、証拠動画を披露してくれました。 お話は、2022年12月7日に、タンタンが外のやぐらから下りられなくなるところから始まります。久々に上ったはいいけれど、下に下りることができず、ウロウロするタンタン。この日は梅元さんが休みで吉田さんはひとり。焦って仮の階段を作ろうと、材料を調達してトラックで戻ってきたら、タンタンはおしりからバックで下りようとしていましたが、これもうまくいきません。 結局1時間ほどして、自力で下りてきたそうですが「これがあったから、階段を作ろうと思った」という吉田さん。梅元さんにも手伝ってもらって階段を製作し、12月25日に設置。ステキなクリスマスプレゼントになりました……と終わらないのが、このひとりと1頭です。 タンタンは新しい階段をかじるだけかじって、上ろうとしません。何とかして上って欲しい吉田さんに、梅元さんが一言「ジュース置いたらええやん」。上って欲しいという誘惑に勝てなかった吉田さんは「ズルをしました」と一言。会場から笑いが起こります。 かくして、設置から2か月ほどたった2023年2月11日。タンタンはやっと階段を上ってくれたのでした。発表を終えた吉田さんは「本当はしゃべらないとダメなんでしょうが、動画でごまかしました」。やっと動画を出せたことに満足そうな表情でした。