「生まれ育った町なのに、どこを歩いているかわからなくなる」 更地になった故郷を見つめる住職の葛藤【能登半島地震から1年】
能登半島をM7.6の大地震が襲ったのは、2024年1月1日。その8カ月余り後には、記録的豪雨にも見舞われた。大震災から1年、復興への道を歩み続ける能登の姿――。 【写真】更地がどんどん増えて…変わってしまった能登の「今」 “1年前の正月飾り”がつるされたままの民家も ***
「輪島朝市」は形を変えて
石川県の観光名所の一つ「輪島朝市」。多くの人々のまぶたに焼き付いているのは、地震発生後の大火災で一面が焼け落ちた光景だろう。その地は、半年後の6月から始まった一帯の公費解体によって、ほぼ更地となっていた。 そんな朝市は、車で5分ほど離れた商業施設「パワーシティ輪島ワイプラザ」の一部で「出張朝市」として7月より再開している。果物、野菜、海産物、花などを売る約40店が並ぶが、観光客の姿はほとんどなく、復旧作業関係者や地元の客が中心だ。 以前から自分の畑で作った野菜を販売していたという女性は、こう話す。 「売れんでも、こうしていると楽しいわいね」 4畳半の仮設住宅に夫婦で暮らしながら、毎日この出張朝市に通っているという。
転出者は3000人超え
公費解体は、再建への第一歩である一方で、不安の材料でもある。地震が起きる前と比べて県外への転出者が各地で軒並み増加しているからだ。 輪島市、珠洲市、能登町、穴水町の奥能登4市町を例にとれば、地震以降の転入者計856人に対し、転出者は計3644人。世帯数だと、1644世帯も減少しているのだ(24年11月1日現在)。 被害の大きさの象徴の一つ、輪島市の「五島屋ビル」も、昨年10月には公費解体が始まった。一部を取り壊した後、国交省が基礎部などの状況を調べるという。
「どこを歩いているか自分でも分からなくなる」
解体が進む珠洲市宝立町(ほうりゅうまち)は、倒壊した家屋が撤去され、更地が増えている。 宝立町に立っていた真宗大谷派往還寺(おうげんじ)の松下文映住職は、近所にプレハブの寺を建築。檀家や近所の人々のため、がれきの中から探し出した本尊や掛け軸などを安置している。そんな松下住職でさえ、 「どんどん風景が変わって、生まれ育った町なのに、時々、どこを歩いているか自分でも分からなくなる」 更地となった土地に果たしてどれだけの人が戻ってくるのかは分からない。震災から丸1年、被災地は復興の進む裏でジレンマを抱えながら、2度目の正月を迎えた。来年の1月1日こそは、在りし日の故郷の姿を見られるだろうか。
撮影・頼光和弘 「週刊新潮」2025年1月2・9日号 掲載
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