ブラジル宮崎県人会が創立75周年記念式典=県人移住110周年も記念して=副知事や副議長、大使らが祝辞
『ブラジル宮崎県人会(蛯原忠男会長)創立75周年記念式典および県人移住110周年記念式典』が24日午前10時から、聖市のブラジル日本文化福祉協会多目的ホール(リベルダーデ区サンジョアキン街381番・文協ビル)で開かれた。8月8日に起きた日向灘沖地震を受けて南海トラフ地震臨時情報が出されたため河野俊嗣知事、濵砂守県議会議長は欠席。佐藤弘之副知事、野崎幸士県議会副議長が知事、県議会議長の祝辞をそれぞれ代読した。総勢400人(主催者側発表)が出席した。 前山テレーザ照美、野本美由喜2人の司会で、宮崎県人先没者に対し1分間の黙とうがささげられた。出席者全員で日伯両国歌を斉唱した。 蛯原忠男会長が出席者、日本からの訪問団19人、同県綾町の伝統文化「雛山」を持ってきた同町の6人に感謝し、日本から直行した林禎二ブラジル大使、清水享サンパウロ総領事の臨席を感謝して、ブラジル側の政治家を「パラナ在住の西森ルイス連邦下院議員(日伯議員連盟会長)、若手のホープとして期待される片桐キム連邦下院議員(28歳)、宮崎県人子弟のゴラール林ロドリゴ聖市会議員(表彰状ほかサンバショーの全費用を支援)、野村アウレリオ聖市会議員(各功労賞を準備)、羽藤ジェオルジ聖市会議員(関谷ロベルト代理)」と紹介した。県人会式典にこれだけ政治家が顔をそろえるのは珍しい。 司会者が来賓を紹介した後、宮崎県の河野俊嗣知事の祝辞を佐藤弘之副知事が代読した。「宮崎県出身の甲斐長蔵氏が1914年にブラジルに入国して110年になる。移住者の皆様は、夢や希望を失うことなく、弛まぬ努力を積み重ね、地域に溶け込みながら、ブラジル国内に揺るぎない信頼を得て、現在の確固たる地位を築かれましたことに、改めて敬意を表する次第であります」と祝辞を贈った。 宮崎県議会の濵砂守議長の祝辞を野崎幸士副議長が代読した。 続いて宮崎県市議会議長会の前本尚登会長が祝辞を述べ、宮崎ブラジル親善協会の米良充典会長の祝辞を永田耕嗣理事が代読した。雛山実行委員会の小野真敬委員長が続いた。 蛯原会長が紹介したほかに、羽藤ジェオルジ聖市議代理の関谷ロベルト氏が同市議の祝辞を代読、野村アウレリオ市会議員の代理で桂川富夫文協評議員会第1副会長、佐々木パウロ・イビウーナ市長、ブラジル日本文化福祉協会の石川レナト会長代理の山下譲二・評議員会会長、JICAサンパウロ事務所の宮崎明博所長、在聖総領事館の清水享総領事が祝辞をのべた。 桂川氏は野村市議の名で、知事、県議会議長、市議会議長会会長に聖市の感謝状を贈った。野村市議が祝辞を述べ、続いてゴラール林市議が米良充典宮崎ブラジル親善協会会長、小野真敬雛山実行委員会委員長、ロイド・ウォーカー宮崎国際大学副学長、ほか2人にサンパウロ市の感謝状を贈った。 宮崎県が『県人会発展功労者』9人、『県人会事業功労者』11人、『80歳以上の高齢者』50人を表彰、それぞれを代表して高野信喜氏、黒木悟氏、高橋久子氏3人が代表して表彰状を受け取り、各3人が謝辞を述べた。 続いて、県費留学生・農業研修生OBを代表して品の良い薄紫の日本着を着こなした甲藤パトリッシアさんが「宮崎県に留学して宮崎の文化に触れ、父母のふるさとを少しでも知ることができてありがたく、感謝の気持ちでいっぱいです。母県の皆様ありがとうございました」と日本人と変わらない日本語で謝辞を述べた。 宮崎県人会から知事、県議会議長、市議会議長会会長に記念品が贈呈され、知事から県人会に返礼の記念品が贈られた。 宮崎県知事から憩の園(本田イズム救済会会長)、希望の家(下本ディルセ欠席のため、代理で野村市議)、こどものその(頃末アンドレ理事長)の日系福祉3団体に金一封が贈呈され、3団体を代表して頃末理事長が謝辞を述べた。 最後に式典実行委員会の尾関ローゼマリ委員長が閉会の辞を述べた。 【現地映像】盛大に祝われた宮崎県人周年式典の様子はこちらから!