「収入はすべて搾取、学ぶ機会も奪われて…」大女優・高峰秀子さんを苦しめた養母。それを救った最愛の夫
高峰秀子さんの収入が増えると、態度が急変した養母
斎藤:養母の態度が変わったのは、高峰が13歳で東宝に引き抜かれてからですね。ギャラは松竹の2倍、成城に家を構えるという破格の条件でしたから。そして高峰は少女スターとしてますます人気が出て、収入が増えたため、養母は「私はこれだけ金持ちなのよ。人気スター高峰秀子の母親なのよ」とまるで見せつけるように、函館の親族10数人を東京へ呼び寄せて、彼らの生活費すべてを秀子に担わせるんです、ひどい話ですよね。 ――10代でそんなに大勢の方々の生活を支えるとは、想像を絶します。大変なプレッシャーだったでしょう。 斎藤:だから高峰は小学校すら通えず、働いても働いても、収入のすべてが養母と親戚に吸い取られていったわけです。高峰は当時の自分は親戚にとって「金銭製造機」だったと言っています。養母はすっかり金の亡者になり、学校へ行きたいと願う秀子をよそに「学問がなんだ! 金さえありゃあなんだってできるんだ」と言い放ったそうです。 ――養母は、お金がすべてだと言いたかったのでしょうね。学校へ行きたい、という、少女のささやかな願いは、聞き入れてもらえなかったのですね。まだ児童福祉法ができる前の切ない話です。向学心にあふれた、賢い子だったでしょうから、お辛かったと思います。ほかの子どもたちは学校に通っているなか、撮影に明け暮れ、働きどおしだったのですから。 斎藤:そして、学校にも行けない秀子を気の毒がって養女にしたいと申し出る著名人が10人近く現れるんですが、養母にとって高峰は「金の卵を産むガチョウ」ですから。だれかに奪われては大変と、お手伝いさんをスパイとして高峰につけて「何時に撮影所に行き何時に帰宅する」というのを見張っていたんです。 ――それは壮絶です。養母がそのような状態では、少女だった高峰さんは、家庭ではまったく心が休まらなかったでしょう。 斎藤:さらに高峰に来る手紙も出す手紙も全部検閲したと言いますから、その独占欲たるやすごいものです。 ――激しい方だったのですね。 斎藤:そして高峰が23歳の頃、初めてダイヤモンドを買ったことを知ると、鬼のような形相で「母親の私がダイヤをつけるなら話はわかる、それを娘のお前がダイヤなんて」と、撮影に出かけようとする高峰に玄関の三和土(たたき)で大きな肘掛イスを投げつけたそうですよ! パワハラなんてもんじゃない、完全にDVでしょう。 ――壮絶です。まさか、国民的な大スターだった時代に、そのような家庭環境だったとは。 斎藤:高峰が成長するに従ってその暴力は加速して、高峰が「つまり…」と言っただけで、「親に向かってつまりとはなにごとだ! 無学な私をバカにするのか」と、ときには包丁まで持ち出したというから、もう驚くしかないです。養母のひどい行いは多すぎて、答えきれません。 ――そうでしたか…、言葉を失います。それでも非行にも走らず、笑顔をつくり、名作にたくさんご出演されて、ファンに夢や希望を与え続けていた高峰さんに、驚くばかりです。