帝拳マネジャー73年「ボクシング界の母」長野ハルさん99歳で死去 マッチメイクに選手育成…88年タイソン東京D興行にも一役
プロボクシングの帝拳ジムのマネジャーとして長年、運営や選手育成などに貢献してきた長野ハルさんが1日午後8時40分、老衰のため99歳で死去した。病気療養中だった。5日、同ジムの本田明彦会長がホームページで発表した。80年近くにわたって名門ジムを支え、元WBA世界フライ級王者・大場政夫(故人)ら多くの名選手から慕われた“日本ボクシング界の母”とも言える存在だった。葬儀は故人の遺志により、近親者のみで家族葬として行われる。 ここ数年、体調を崩しがちだった長野さんは、昨夏には足を骨折して入院した。それでも、来られる時には都内の帝拳ジムに顔を出した。最近は、先月21日の全日本新人王決勝戦を配信で観戦していたという。46年に創設され、17人の世界王者を輩出するなど日本ボクシング界をリードする名門ジムを支えた功労者。1925年生まれで、4月26日には100歳の誕生日を迎えるはずだった。 この日、長野さんと対面した元WBC世界スーパーライト級王者で同ジムの浜田剛史代表(64)は「母のような人でした。12月半ばに話をした時には声に力があった。治れば、ジムに出ると言っていたのですが…」と無念さをにじませた。一日の大半をジムで過ごし、帝拳ジムの選手が出る試合があれば会場にも足を運んだ長野さん。浜田氏は「本当にボクシング一筋の人生。起きている時間はずっと、仕事でしたから。これからはゆっくり休めるんじゃないかな」と悼んだ。 実践女学校(現実践女子大)を卒業した48年春に帝拳入社。最初はボクシングの会社だとは知らなかった。明彦会長の父で先代の故・明会長の秘書となり、日本ボクシングコミッション(JBC)が創設された52年にマネジャーライセンスを取得。マッチメイクなどジム運営や選手育成を担った。明会長が65年7月に急死すると、当時17歳と若かった明彦会長を支えた。明彦会長が世界的なプロモーターに成長し、88年に統一世界ヘビー級王者マイク・タイソンの東京ドーム興行を成功させたのも長野さんがいたからこそ。名門・帝拳ジムの歴史を支え、日本ボクシング界の発展に大きく貢献してきた。 ジムの門を叩いてきた選手たちに、厳しさと優しさを持って接し“母”のように慕われた。大場政夫を見いだして帝拳ジム初の世界王者に育て上げると、その後も、浜田剛史、西岡利晃、粟生隆寛、山中慎介、村田諒太ら多くが世界王者のベルトを巻いた。 悪いことは悪いとはっきり言う人。厳しく指導したが、入院した選手のそばにずっと付き添ったことも。「ボクシングは実力の世界だけど、人気の商売でもある」と選手を守るためには“嫌われ役”も買って出た。「まさに選手ファーストの人」と浜田氏。本当にボクシングを愛し、愛された人だった。(谷口 隆俊)
報知新聞社