第二次世界大戦から崩れ始める「戦争の姿」徐々に減少した主権国家間の紛争
価値の分配をめぐる政治
2020年のアメリカ合衆国の大統領選挙、バイデンvs.トランプの戦いで、「アメリカは内戦状態になるのではないか」という見立てを述べる論者がいました。さすがに内戦にはならなかったものの、両者の主張は違っても選挙が終わればノーサイドということにならなかったのは、2021年1月6日にトランプを支持する市民が起こした合衆国議会議事堂襲撃事件を見れば明らかでしょう。 何がそこまで国内を分断しているのかですが、これはアメリカだけでなく多くの国で同じような分断が生まれています。 アメリカでいえば妊娠中絶の是非はまさに国論を二分する議論になっています。世界各国を見ても、同性婚やLGBTQをめぐってさかんに議論されていることは共通しています。こうした議論を「価値の分配」といいます。 従来の政治は「富の分配」をめぐるものでしたが、これは妥協がつけやすいのに対して「価値の分配」は1か0かで妥協がしにくいものになっているため分断が起きやすいのです。 20世紀後半は世界規模で経済成長が続き、ある程度の豊かな社会が世界すべてではありませんが、いわゆる先進国で生じました。アメリカの政治学者ロナルド・イングルハートは「『脱物質主義的価値観』が政治の次元で重みを増す」と、すでに1977年の時点で主張していました。 『歴史の終わり』(三笠書房)で有名なアメリカの政治学者フランシス・フクヤマも『IDENTITY―尊厳の欲求と憤りの政治』(朝日新聞出版)の中で、トランプ現象やイギリスのブレグジット(EUからの離脱)の背景にあるものを分析して、経済合理性よりも敵と味方の単純な二文法で「敵だから倒す」といった感情が政治に持ちこまれることを示唆しています。 歴史認識をめぐる紛争も「価値の分配」の文脈で理解できます。現在を、そして未来をめぐって争うのではなく、過ぎ去ってしまった過去をめぐって争う、一見不毛な議論がどこの国でも展開されています。 それは21世紀における国民創造のために不可欠な物語をどうやって再構築すればいいのかということだけではなく、国民創造のために歴史が動員されることを拒否することも含めて妥協が困難な価値をめぐる争いになっているのです。 奴隷制度は19世紀に廃止されました。20世紀前半には女性参政権も実現しました。ところがこれらは人間を奴隷とそれ以外に分けること、男と女に分けることといった、人種主義的な発想に対する反省から起きたものではなく、単に経済的な利益や戦争遂行能力を高めるための要求から行なわれただけであり、「ブラック・ライヴズ・マター運動」の高揚やフェミニズムの運動が続いていることは、19世紀以来の国民国家建設の課題がまだ残されていることをあらわしています。 当然ながら「富の分配」をめぐる問題が解決したわけではありませんが、「価値の分配」が政治の大きな焦点になる中で国民国家としての同質性を保つことが難しくなっているのが現在といえるでしょう。 「富の分配」から「価値の分配」へ向かう大きな歴史の流れを確認するのに『リベラルとは何か―17世紀の自由主義から現代日本まで』(田中拓道/中公新書)、『アフター・リベラル―怒りと憎悪の政治』(吉田徹/講談社現代新書)はとても良い本です。