第二次世界大戦から崩れ始める「戦争の姿」徐々に減少した主権国家間の紛争
第二次世界大戦以降、"戦争=主権国家同士の争い"の原則は崩れ、徐々に戦争の姿は変化し始めたという。東進ハイスクール講師の荒巻豊志氏による書籍『紛争から読む世界史』より解説する。 【書影】世界の「紛争地図」から、面白いほどいろんなことが見えてくる! 『紛争から読む世界史』 ※本稿は、荒巻豊志著『紛争から読む世界史』(大和書房)から一部を抜粋・編集したものです。
複合戦争としての第二次世界大戦
第一次世界大戦終了からわずか20年で再び世界大戦が起きます。第一次世界大戦と異なり、日本が重要な関与国となったことでアジアにも大きな被害が生じます。 第二次世界大戦は第一次世界大戦で生じた流れに棹さす結果となりました。夜警国家から福祉国家へ、さらにイギリス、フランス、日本といった帝国主義国家の勢力が大きく減衰することで民族自決理念の普遍化は決定的となります。この第二次世界大戦は様々な性格が複合した戦争と評価されています。それをまとめてみましょう。 まず1つ目が民族絶滅戦争という性格です。ナチス=ドイツがこの戦争中に600万人にも及ぶユダヤ人虐殺(ホロコースト)を行なったことを知らない人はいないでしょう。このホロコーストを「戦争」と表現していいものか。 当事者の一方はナチス=ドイツという国家なのに対して、ユダヤ人は「国家」ではありません。ここが大事なところなのですが、戦争とは主権国家同士の争いであるという自明の理が崩れてきていると捉えてほしいのです。すぐ後で話しますが、こういった戦争のあり方を非対称戦争と表現します。 2つ目は帝国主義間戦争という性格です。イギリスやフランスが持っていた東南アジアの植民地を日本が奪おうとしていたことや、大戦末期にイギリスとソ連がバルカン半島分割の密約を結んでいたことがこれをあらわしています。 3つ目はイデオロギー戦争という性格です。当時、議会制民主主義、社会主義、ファシズムという3つの政治体制をめぐる対立があったわけですが、ファシズムを倒すために前二者が手を組んだという捉え方です。 難点はファシズムとは何かということが定式化されていないことです。社会主義もファシズムなのではないかといったような主張にも妥当性があるし、ファシズムといっても日本、ドイツ、イタリアで大きく異なっています。したがって、このイデオロギー戦争という物言いは戦勝国を正当化する考えだと思っています。 4つ目が民族解放戦争という性格です。2つ目の性格である帝国主義間戦争と対になっています。帝国主義間戦争が正しい戦争ではないとすると、この民族解放戦争は正しい戦争と捉えることができます。 だから、この性格を強調することは第二次世界大戦は正しい戦争だったという主張になります。日本が大東亜共栄圏を掲げてアジアの解放のために戦ったという主張は、日本にとって正義の戦争だったということです。 確かに、インドにおけるチャンドラ・ボースの運動や親ナチス=ドイツの立場を採ったアラブ人グループもあったけれど、東南アジア各地域で抗日運動が起きていた実態を考えると、これは支配下に置かれていた人々が評価すべきことでしょう。 ちなみに東南アジア各国の教科書で、日本が「アジア解放」のために戦ったと書かれているものは一冊もありません。