ブランド物を欲しがる人と「推し活する人」の共通点 囚われの身になってしまう、偶像崇拝者たち
自分に必要なものの購入やふだんの支払いの額をはるかに超えるお金を手に入れたがる人にとって、多くのお金はより多くの可能性という意味があるのだろう。このとき、その人は、自分の今後の可能性が広がると思っている。 しかし、自分の可能性とは何だろう。それは自分の能力が高まる可能性のことだというなら、何かを練習したり、何かについて勉強するしかないだろう。それは自分の現実の行動にかかわることであり、より多くのお金とは何の関係もないことだ。
彼らはみな、自己疎外をしているだけなのだ。 ■囚われの身になってしまう、偶像崇拝者たち 彼らはみな偶像崇拝者でもある。アイドルのファンが偶像崇拝者だというのは今さら説明しなくてもわかるだろう。 ブランド物を欲しがる人は、上流階級の身分、貴族的身分を偶像としている。 より多くのお金を欲しがる人は、お金を偶像として崇拝してやまない。株価や為替変動に一喜一憂(いっきいちゆう)し、世界の有名な金持ちを羨望(せんぼう)し、とにかくお金以外のものに最高の価値を見出すことができない。人間はお金に仕える道具にすぎないと考えるほどなのだ。
その他にも、スポーツ選手などの熱狂的なファンも偶像崇拝者だ。崇拝者である証拠に、グッズを買う他、彼らは「元気をいただいた」とか「勇気をもらった」といった呪術的な表現を使うし、自分が応援したからチームが勝ったのだ、選手が活躍したのだとまで本気で信じる。物理法則や論理がまったく通じないレベルの考え方をするのだ。 偶像崇拝者はしょっちゅう偶像のことを考えている。それは執着のあげく自分が囚(とら)われの身になってしまっているということだ。ドイツの哲学者エーリッヒ・フロムは『悪について』(1964)でユダヤ教の指導者の一人イサク・マイエルの言葉を引用している。
「人が考えるということは、そこに人が呪縛されるということ」(鈴木重吉訳) 商人からすれば、熱狂的なファンは「ちょろい」だろう。なぜならば、誰も誘導しなくても偶像に対してみずから服従的崇拝をしてくれるからだ。彼らは固定客だ。商人はほくそえんでいる。
白取 春彦 :作家