『ミッシング』吉田恵輔監督 フィルモグラフィを通じて言いたいことを埋めていく【Director’s Interview Vol.404】
意地悪だけど優しくて、笑えるけれど泣ける。圧倒的な振り幅をひとつの作品で成立させる天才監督、吉田恵輔に、石原さとみが直談判をして実現した『ミッシング』。行方不明になった幼い娘を探し続ける年若い母親。彼女の出口の見えない苦しみの日々を描くヘビーな物語は、これまでのキャリアを捨てる覚悟で望んだという石原さとみから、心身の七転八倒をさらけ出す大熱演を引き出した。 『ミッシング』は数々の映画賞に輝いた前々作『空白』(21)から派生して生まれ、吉田監督がネクストレベルに達したことを宣言するかのような傑作となった。しかし一体、外野が勝手に感じたネクストレベルとはいかなる境地なのか? 吉田監督の現在について、本人に語っていただいた。 ※吉田監督の『よし』は土に口です。
『ミッシング』あらすじ
とある街で起きた幼女の失踪事件。あらゆる手を尽くすも、見つからないまま3ヶ月が過ぎていた。娘・美羽の帰りを待ち続けるも少しずつ世間の関心が薄れていくことに焦る母・沙織里(石原さとみ)は、夫・豊(青木崇高)との温度差から、夫婦喧嘩が絶えない。唯一取材を続けてくれる地元テレビ局の記者・砂田(中村倫也)を頼る日々だった。そんな中、娘の失踪時に沙織里が推しのアイドルのライブに足を運んでいたことが知られると、ネット上で“育児放棄の母”と誹謗中傷の標的となってしまう。世の中に溢れる欺瞞や好奇の目に晒され続けたことで沙織里の言動は次第に過剰になり、いつしかメディアが求める“悲劇の母”を演じてしまうほど、心を失くしていく。一方、砂田には局上層部の意向で視聴率獲得の為に、沙織里や、沙織里の弟・圭吾(森優作)に対する世間の関心を煽るような取材の指示が下ってしまう。それでも沙織里は「ただただ、娘に会いたい」という一心で、世の中にすがり続ける。
『空白』から『ミッシング』へ
Q:『空白』の公開時にはもう『ミッシング』の話をされていましたよね。テーマとしても『空白』の延長線にある作品というか、一瞬のバリエーションといいますか。 吉田:そうですね。『空白』のクランクアップの翌日くらいにはもう(脚本を)書いてましたから。(『空白』を撮影した)蒲郡の三部作を作るって冗談で言ったんだけど、その翌日に(新型コロナの)緊急事態宣言が出て、『空白』の編集がしばらくできなかった。それで一ヶ月ヒマになって、ちょうど『BLUE/ブルー』(21)と『空白』を続けて撮って、『神は見返り求める』(22)はまだ撮影前だったけど、手の中にあったシナリオがどんどん映像化されていって、新しいのを一個書かなきゃなって思ってたんで。じゃあ蒲郡三部作の2本目は何だろうって考えて、『空白』の続編に近いものを書き始めたんです。 だから最初の頃の脚本には『空白』の添田(古田新太)や野木(藤原季節)が出てきていて、青木(崇高)くんの役を漁業組合の人にしたのは添田と喧嘩をするくだりがあったから。今回みかん農園が出てくるのも、『空白』を撮影した時に蒲郡でみかんばっかり食べてたからなんです(笑)。 Q:じゃあ『空白』を撮影しながら『ミッシング』の構想が固まっていった? 吉田:いや、蒲郡から東京に帰る二日前にたまたまミキサー車が走ってるのを見かけて、ふと「ミキサー車っていいな」って思ったんです。「何かから逃げたがってるミキサー車の運転手」っていう人物が浮かんできて、じゃあ何から逃げたがってるんだろうと考えて、はたと「預かってたお姉ちゃんの子どもがいなくなっちゃったんだな」って思ったんです。それで「ミキサー運転手の男がいて、自分のせいで姉の子どもがいなくなった」っていう物語を考えて、そこから走り出した感じです。 だいたいいつもスタートは軽い気持ちで、書いていくうちにぜんぜん違う話になる。入口はなんだっていいんです。でも結局そうなると、姉の子どもがいなくなったミキサー車の運転手より、子どもを探してるお姉ちゃんのほうが中心人物というか、主役はそっちだよなと。だとしたらその旦那だってキツいよなってなったり、報道するテレビ局のこともなんとなくセットで見えてきた。 それで河村(光庸)さん(※2022年に亡くなった映画プロデューサー)にざっくりした第一稿を渡したら、「これいい、これやろうよ! テレビ局をさ、叩きたいんだよ!」ってなんか悪意のこもったことを言われて(笑)。いや、俺は別にそういう気ではないんだけど、テレビ局のパートを膨らませたほうが面白いかもねっていう話になって、それで最終的な脚本ができていったんです。 Q:『空白』も『ミッシング』も、誰か大切な人を失くしたところから始まる話ですよね。 吉田:うん、そのこととどう折り合いをつけるか。 Q:『空白』は、初期から組んでいた脚本家の仁志原了さんが2016年に病気で急逝された経験が反映された作品で、『ばしゃ馬さんとビッグマウス』(13)や『犬猿』(18)も仁志原さんとの関係がベースにあったと思うんですが、今回はテーマは繋がっていても監督のプライベート感は薄いというか、仁志原さんのことを描いているようには感じなかったんです。 吉田:うん。俺の中では、仁志原さんが亡くなったことは『空白』を作ることで折り合いをつけた気でいるんですよね。ある種の傷から自分を癒やす作業はできた気がするんだけど、でもそれができない人もいるよなって思ったんです。『空白』は取り返しがつかないことというか、もう死んじゃった誰かに対しての自分の心の決着の話だけど、『ミッシング』の環境だと、折り合いをつけちゃったらそれは「諦めたってこと?」ってなっちゃうわけだから。 いなくなった誰かを探している最中の痛みって、どうしたらその先に光が当たるんだろう、みたいなことを考えるのが今回のテーマだった気がしますね。ずっと走り続けなきゃいけない状況って、どこで息していいかわからない。ちょっとそういう人たちに向けた作品も一個作ってあげたい、という気持ちがありました。たぶんこの人たちに見える光があるなら、『空白』で見る光とは違うんだよなあって。
【関連記事】
- 『神は見返りを求める』吉田恵輔監督 人間のいい部分と悪い部分両方描かないと気持ちが悪い【Director’s Interview Vol.217】
- 第34回東京国際映画祭Nippon Cinema Now部門 吉田恵輔監督 ゴールは “映画界の高田純次”【Director’s Interview Vol.156】
- 『BLUE/ブルー』吉田恵輔監督 自らのボクサー体験から生み出した、生々しくも美しいボクシング映画の内幕【Director’s Interview Vol.117】
- 『空白』不寛容の“先”に、手を伸ばす。映画史の足跡を継いだ一作
- 『不死身ラヴァーズ』松居大悟監督 初期衝動みたいなものを見つめ直したかった【Director’s Interview Vol.403】