事務所はクビ、コンビも解散「これでダメなら路上生活かと」スギちゃんが17年間の下積みを経て「ワイルドネタ」にたどりつくまで
「ワイルドだろぉ?」の決め台詞で当時38歳でブレイクしたスギちゃん。上京後最初の事務所はクビになり、その後もアルバイトをしながら下積み生活を17年間続けてようやくつかんだチャンスでした。しかし、その数か月後、収録中に大けがし休業を余儀なくされます。紆余曲折の人生でつかんだものとは。(全4回中の2回) 【写真】「今と全然違う」華奢だった名古屋吉本時代、セーラー服に身を包むスギちゃん ほか(全19枚)
■名古屋から上京し事務所を転々「ピンでダメなら辞めようと」 ── もともとはコンビで活動していたそうですね。
スギちゃん:そうですね。最初は「NSC名古屋」に入ったんです。それで何年かやったんですが、やっぱり売れたいなら上京しなくては…となり、浅井企画にお世話になりました。何年か在籍させてもらったんですが、事務所的には当時売れている若手芸人がいなくて、焦り始めたんですよね。それで、尻を叩くつもりでクビ制度導入をしたんです。3組をクビにするということになり、そこに当てはまってしまったという…。 ── そうだったんですね。
スギちゃん:「クビになってどうしよう」となったときに、相方は「他の事務所に行こう」と言い出したんです。でも俺のなかでは「クビになるようなコンビがこの先、通用するのかな」と。それなら、申し訳ないけどコンビは解消して、最後にピンでやって、ダメならもうお笑いは辞めよう、と思いました。ピンでダメだったら、辞めるにしても自分の中で納得がいくと思ったんです。 当時はたまたま、若手芸人の掘り出し番組が増えてきていた時期で。俺も『イツザイ』(テレビ東京系)の「インディーズ芸人」っていう地下芸人を紹介するコーナーに出してもらえることになりました。その番組は、沢村一樹さん、よゐこの濱口さん、マリエさんが審査員で、ネタをやったら3人が「お宝」か「ガラクタ」の札を上げるんです。それで3人とも「ガラクタ」だったら終了なんですが、俺のネタでは沢村さんと濱口さんが「ガラクタ」を上げたものの、マリエさんだけどハマりしてくれて。本当は1週だけの出演だったんですけど、何週も連続で出してもらえることになったんです。