「クレイジー」と呼ばれた男 巨人で江川卓の前に背番号30を着けた左腕のライト【愛すべき助っ人たち】
愛すべき荒くれ者の系譜!?
巨人の背番号30といえば、令和の現在となっても江川卓の名前を挙げるファンは多いだろう。元祖“怪物”といえる存在は、それだけ大きなものだ。ただ、その前に「30」を背負っていたのもインパクト抜群の投手、それも“助っ投”だった。 【選手データ】クライド・ライト プロフィール・通算成績 「アメリカ野球に追いつき、そして追い越せ」という正力松太郎の言葉もあり、助っ人なしで1965年からV9という空前絶後の偉業を成し遂げた巨人。74年に連覇が途切れ、川上哲治監督からV9で打線の中軸を担っていた長嶋茂雄監督になると、現役時代はメジャー志向を秘めていた長嶋監督ということもあって、助っ人を獲得するようになってきた。75年に自らが抜けた打線の穴を埋めるべく獲得したのがデービー・ジョンソン。そして続く76年に入団したのが「30」、左腕のクライド・ライトだった。 「巨人軍は常に紳士たれ」というのも正力の言葉だが、なかなか紳士でいるのも難しいもの。「紳士たれ」は助っ人にも求められる規範なのだが、ライトはカッカしやすい性格で、審判や相手チームの打者との喧嘩にとどまらず、自分のユニフォームを引きちぎったりカメラマンからカメラを取り上げて叩き壊したりなどの場外乱闘もしばしば。名前から「クレイジー・ライト」の異名もあった。巨人には、まさに紳士といえる助っ人の系譜がある一方、愛すべき(?)荒くれ者の系譜もあるように見えるが、ライトは後者の先駆者といえるだろう。 だが、メジャー通算100勝の実績は間違いなかった。その存在は過渡期にあった巨人の投手陣にとっては刺激にもなっただろう。75年に初めて最下位に沈んだ巨人だったが、ライトが加入した76年は急浮上。一気にリーグ優勝に返り咲いた。続く77年にはライトも2ケタ11勝を挙げて、リーグ連覇に貢献している。 その翌78年にはフロントとの対立もあり、シーズン途中に退団して、帰国。その後はピッチングスクールを開いて後進の指導に当たり、多くのメジャー・リーガーを輩出している。ちなみに、続く79年のシーズン途中から「30」の後継者となったのが江川だった。 写真=BBM
週刊ベースボール