認知症の柴犬を介護する猫 飼い主が忘れられない「二匹の別れの時」
認知症で歩き回るしの、付き添うくぅ
――しのちゃんの介護で大変だったことは何でしょうか? 【晴】しのが安心して歩けるようにサークルを手作りしたんですけど、どうしたらいいかわかんなくて四角形で作ってしまって... 四角形って角があるから結局挟まるじゃないですか。それで試行錯誤して、形や高さ、広さや怪我をしない素材とか、ぴったりなものを作るのがとても大変でした。 最終的に円形で落ち着いたんですけど、段ボールに緩衝材を巻いて、見栄えもよくするためにレンガ調のシールも貼りました。 もう一つ大変だったことは、認知症が進行して亡くなるまでの半年ぐらいは、わんわんと1日中鳴くので、常に付きっきりでそばを離れられないことでした。だから3日は連続で徹夜して、家族に協力してもらいながらやっと休めても2時間ほどしか睡眠できませんでした。 その頃、目の手術もしていたので、目に何かが当たらないように24時間ずっと見ていなきゃいけなかったのもあります。今思い出しても、私自身よく倒れずにいられたなと... ――お話を聞くだけでも気が遠くなりそうです... くぅちゃんも介護を助けてくれたのですよね。 【晴】ある晩、2階で寝ているとくぅが切羽詰まった声で呼びに来たんです。見に行くと、しのが1階で家具の間に挟まって動けなくなっていました。それがくぅがしてくれた初めての介護でしたね。 その後、しのがサークルの中をぐるぐるずっと歩き続けるようになってからは、くぅが私の代わりに付き添って歩かせてくれるようになりました。しのが止まったら自分の顔や背中で支えて、また歩き出しやすいように誘導してくれていました。 くぅが付いてくれている間に私はご飯を食べたり、トイレに行ったり、おかげで休憩がとれていたんです。 てんかん発作も起こすようになって、さらに手がかかるようになりました。足腰がふらついて立ち上がることができないのに歩いていないと吠え続けるので、両手でしのの身体を抱えて歩かせて、安定してきたらくぅにバトンタッチして一緒に歩いてもらったり。落ち着くまで4,5時間はその状態が続くんですよ。 脳が起こす発作なので尿失禁、便失禁もあり、目もほとんど見えていなかったですし、自分でも何が起きているのかわからず怖かったんでしょうね... だから、その頃のくぅのフォローはとても助かりました。