ダウン症の娘のために絵を取り入れた療育に奮闘する母。「美貴ちゃんしか好きじゃないんだ」という二男の言葉に猛反省も【体験談】
ダウン症候群(以下ダウン症)をもって生まれた高田美貴さん(25歳)は、150色もの色鉛筆を操り、独特の色彩感覚で緻密な絵を描き上げるアーティストです。母親の敦子さんは、「絵を描きたい」という美貴さんの思いを応援し続け、美貴さんの絵を発表できる場を設けることなどにも力を注いできました。 全3回のインタビューの2回目は、幼児期から小学校時代のことについて聞きました。 【画像】150色の色鉛筆で絵を描く現在の美貴さん。
毎日続けた筋肉トレーニング。おかげで小学校入学前にボタンがとめられた!
――美貴さんが4歳のとき、敦子さんの実家がある京都に引っ越しをしました。幼児期も筋肉のトレーニングは続けたのでしょうか。 敦子 療育で行うだけでなく、毎日家でも行っていました。美貴は一般的なダウン症の子どもより筋力があると、医師から言われていたのですが、それでも筋力はかなり弱かったです。筋力をつけることは脳の発達にもかかわると思っていたので、指で豆をつまんで左右に動かしたり、おもちゃを積み上げたりする訓練を続けました。 小さいころから指先を使う訓練を行ったことで、指先の動きがスムーズになり、ボタンをとめるなどのこまかい動作が、小学校入学までにできるように。でも、今でも蝶結びはできないので、練習をと思っています。 ――保育園時代も美貴さんは絵を描くことが好きでしたか。 敦子 もちろん大好きでした。保育園でも家でもたくさん絵を描いていました。 私が不在のとき、美貴のことは実家で母に見てもらっていたのですが、美貴は絵を描いていればご機嫌だから、母はいつも一緒に絵を描いて遊んでくれました。 母は私が小学生のときに使っていた24色の色鉛筆やクレヨンを大切に保管していたので、実家で絵を描くとき、美貴はそれらを使っていたんです。親子3代のつながりを感じました。 ――4歳6カ月のとき、先天性心疾患が見つかったとか。 敦子 京都に引っ越したことで、経過観察を行う病院も変わったので、最初に全身の検査を行いました。その結果、僧帽弁閉鎖不全症(そうぼうべんへいさふぜんしょう/※1)と、心房中隔欠損症(しんぼうちゅうかくけっそんしょう/※2)があることがわかったんです。ダウン症の子どもの合併症で、最も多いのが心疾患だということは知っていましたが、4歳になるまで指摘されたことがなかったので、「美貴の心臓は大丈夫なんだ」って安心していたんですが…。心臓から血液の逆流が見られると先生から告げられました。 でも、今すぐ治療が必要とか、手術が必要とかではないとのことで、経過観察だけ続けることに。今も1年に1回検査をしていますが、とくに問題はありません。 ※1/僧帽弁は、心臓の左心房と左心室の間にある弁。僧帽弁が正常に閉じなくなり、血液が左心室から左心房に逆流する病気。 ※2/心房中隔は、心臓の上部にある左右の心房を隔てる壁で、そこに穴が開いている病気。