ダウン症の娘のために絵を取り入れた療育に奮闘する母。「美貴ちゃんしか好きじゃないんだ」という二男の言葉に猛反省も【体験談】
二男の「美貴ちゃんしか好きじゃないんだ!」に猛反省。時間の使い方を変える
――美貴さんの早期療育に、敦子さんはとても力を注いでいました。そのことで息子さんから言われてしまった言葉があるそうですね。 敦子 美貴が生まれたとき長男は8歳、二男は6歳。美貴は生後4カ月から療育を始め、当時、私は美貴にかかりっきりの状態でした。そんな私の様子を見ていた二男が、「お母さんは美貴ちゃんしか好きじゃないんだ!」って。 その言葉を聞いてドキッとしました。息子たちのことも見ているつもりでしたが、寂しい思いをさせていたんだと、猛反省しました。 美貴の体のことを息子2人に説明するとともに、2人が小学校に行っている間は美貴のことに没頭し、土日は息子たちと過ごす時間を優先することに。息子たちは地域の野球クラブに所属していたので、練習の付き添いや試合の応援には必ず行きました。 ――お兄ちゃんたちは美貴さんの存在をどのように感じていたのでしょうか。 敦子 出産前からきょうだいが増えることを楽しみにしてくれていました。生まれてからは「妹ができた~」と、とても喜んでくれました。 「病気を持っていても美貴は美貴だから」と息子たちも受け入れ、私も息子たちとの時間を改めて大切にするようになりました。病気のことに関して話し合い、寂しさも解消されたみたいで、「美貴ちゃん、めっちゃかわいい!」ってかわいがってくれました。 今も変わらず仲よしです。個展を開くときなどは、率先して手伝ってくれますよ。
図画工作に力を入れた公立小学校に入学。自然の中でのびのびと絵を描く
――美貴さんが入学したのは、図画工作を重んじる小学校だったとか。 敦子 わが家から歩いて通える場所にある、ごく普通の公立小学校ですが、昔からアート教育に力を入れているのが特色でした。実は私も卒業生。学校の活動はよく知っているので小学校選びを迷うことはありませんでした。 美貴の入学後は、「経験すること」に重きを置く教育方針の学校だと感じました。教室で図画工作の授業を受けるだけではなく、屋外で四季の変化を楽しみながら絵を描く機会がたくさんありました。そうした経験をすることで、美貴はますます絵を描くことが好きになり、芸術的感性がどんどん伸びていったように思います。小学校時代の経験は、今の美貴の作品の大きな基盤になっています。 ――ダウン症のある子を、公立小学校に通わせることへの不安はありませんでしたか。 敦子 「まったくない」と言ったらうそになりますが…この地域で暮らしていくのですから、地域の方々に美貴の存在を知ってもらいたいと考えたことも、地元の小学校を選んだ理由の1つです。先生方や同じクラスのママ・パパはもちろん、地域にお住まいの方々も、とてもやさしくあたたかく美貴に接してくださいました。 支援学校に通うようになった中学生以降も、地域の皆さんは常に美貴のことを見守ってくれました。それは今も変わりません。 ――美貴さんは生まれてすぐに甲状腺機能低下症(こうじょうせんきのうていかしょう/※3)と診断されましたが、小学校5年生のとき、症状に変化があったそうですね。 敦子 美貴が急にやせ始めたので、これは何かおかしいと感じ、経過観察を行っている病院を受診。甲状腺機能亢進症(こうじょうせんきのうこうしんしょう/※4)に変わったと診断されました。甲状腺が働きすぎるのを抑える薬に変えたことで、中学校1、2年生ごろには症状が落ち着きました。その後、食生活も改善していきました。今も定期的に検査を受けています。 ※3/甲状腺の活動が弱く、血中に分泌される甲状腺ホルモンが少ない状態。 ※4/甲状腺が活発に活動し、血中に分泌される甲状腺ホルモンが多い状態。