ダウン症の娘のために絵を取り入れた療育に奮闘する母。「美貴ちゃんしか好きじゃないんだ」という二男の言葉に猛反省も【体験談】
7歳のときポスターが初受賞!娘の絵が第三者に認められた喜びに包まれる
――2005年、美貴さんが7歳のとき、京都府主催の京都府緑化運動ポスターで奨励賞を受賞します。 敦子 私と母はいつも「美貴の絵はほっとするね。ぬくもりを感じるよね」と話していたのですが、それは身内の欲目かもしれない。そんな思いもあったので、第三者から美貴の絵を評価してもらえたことが、本当にうれしかったです。緑化運動ポスターの奨励賞は、美貴が絵でもらった最初の賞です。 授賞式は「何事もなく終わりますように」と、私は最初から最後までドキドキしっぱなしでした。一方、美貴は完全にリラックス。ニコニコしてとっても楽しそう。そんな美貴を見て、私もこの上なく幸せな気持ちになりました。 ――色鉛筆と油性ペンで描く美貴さんならではの絵のスタイルは、いつごろ生まれたのでしょうか。 敦子 小さいころは色鉛筆のほかに、クレヨンや絵の具など、いろいろな道具を使って絵を描いていました。ところが、小学校高学年ごろから、美貴は汚れることに強い抵抗感を持つように。絵を描きたい、でも汚れるのはイヤ。そんな相反する感情に悩んでいました。 そして、試行錯誤の末に生まれたのが、アウトラインは油性ペンで描き、彩色には色鉛筆を使うという手法。この方法だと、手などを汚さずに絵が描けるんです。下書きなしで、鉛筆と消しゴムは使いません。 「美貴は絵を描くのが大好き。そして、お母さん、家族、まわりの方が笑顔になってほしい」。その情熱を支えるためにできる限りのサポートをしようと、私も気持ちを新たにしました。 お話・お写真提供/高田敦子さん 取材・文/東裕美、たまひよONLINE編集部 初受賞をきっかけに、さらに絵を描くことに熱中していく美貴さん。アーティストとしての才能を開花させ、さまざまな賞を受賞するとともに、個展も開くようになります。 インタビューの3回目は、中学生のときから現在に至るまでのアーティスト活動についてです。 「 #たまひよ家族を考える 」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。 ※高田敦子さんの「高」の字は、「はしごだか」が正式表記です。 ●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。 ●記事の内容は2024年9月の情報であり、現在と異なる場合があります。
たまひよ ONLINE編集部