スカイラインの系譜【1】最強・最速の名を欲しいままにしたスカイラインの歴史を振り返る!
数ある国産車のなかで、1、2の歴史を誇るスカイライン。日本を代表する乗用車として古くから認知され、いつの時代でも多くのファンに愛されてきた。ここでは、今一度スカイラインの足跡を振り返ってみる。 【画像13枚】数ある国産車のなかで、1、2の歴史を誇るスカイラインの足跡を振り返る 【スカイラインの系譜 Vol.1】 「2017年、スカイラインは誕生から60年を迎えた。その間に13代のスカイラインが登場し、それぞれが高性能を誇示し、名声を勝ち取っている。産声を上げたのは1957年4月だ。 送り出したのは、航空機メーカーを母体とする富士精密工業、後のプリンス自動車である。初代のALSIスカイラインは進歩的なメカニズムを採用した高性能セダンだった。 62年には日本初の高級スペシャリティーカーとオープンカーを投入する。これがスカイラインスポーツだ。だが、スカイラインがスポーツセダンとして認知され、今につながる伝説を築くのは2代目のときである。S50スカイライン1500の鼻先を延ばし、グロリアの2直列6気筒SOHC・G7型エンジンを押し込んだ。 言うまでもなく、64年5月の第2回日本グランプリのために開発され、限定生産されたスカイラインGTである。 レースではポルシェ904GTSからトップを奪い、17万人の観衆を総立ちにさせた。これを量産化したのがS54B ‐Ⅱと呼ばれるスカイライン2000GTで、後に2000GT-Bとなる。 初代 ALSI 今から60年も前に登場した初代ALSI。日本車離れしたスタイリングにメッキパーツを多用し、革新的な技術を採用。走行性能の高さも特徴だった。また、62年にはミケロッティがデザインし、クーペとコンバーチブルを設定するスカイラインスポーツもリリースされた。 2代目 S50 スカイラインがスポーツセダンとしての道を歩み始めたのは、このS50系から。軽量高剛性のモノコックボディには、当時クラス最強の1.5LG1型を搭載。さらに、日本GPへ出場するためにグロリア用の6気筒・G7型を搭載したGTを、ホモロゲ取得用として発売した。 3代目 C10 日産とプリンスの合併後、初めて登場したのがC10。ハコスカの愛称でおなじみの同車は、レーシングカー「R380」搭載のGR8型と基本設計を同じにするS20型を積んだ2000GT-Rを発売。レースではその高性能ぶりを遺憾なく発揮し、50勝という金字塔を打ち立てた。
Nosweb 編集部