一度は清算したふりかけメーカーを背負う3代目 「飛ぶように売れた」プレミアム製品が再生の柱に
ベトナムから即戦力で呼び戻され
澤田さんは10代で、思いがけず海外へ渡ることとなります。 「アルバイトと遊びに夢中で、大学へ全く行かなかったのが両親にバレました。『大学へ行かないのなら海外で社会勉強してこい』としかられ、中退してベトナムへ渡ったんです」 2代目の父・正博さんの紹介で、澤田さんはホーチミンの一般家庭に住みながら輸出入の仕事を手伝い、社長に同行して世界中を回りました。海外の仕事が面白く、このままベトナムでの就職を考えます。ところが……。 「21歳の時、父から『戻ってこい』と電話がかかり、心残りでしたが帰国して、2005年、澤田食品に入社しました」 このころ家業は大きな転換期でした。いか昆布をはじめとしたふりかけ事業が軌道に乗り、2002年、現在地に移り本社工場を拡大したのです。 そのタイミングで祖父は会長となり(着任後逝去)、父が2代目社長に。ベトナムで営業経験を積んだ澤田さんは、即戦力として必要とされたのです。
経営危機で立て直しを図る
営業担当として日々、全国のスーパーや市場、卸問屋を駆けまわる澤田さん。しかし、30歳目前のある日、父から「会社の経営が思わしくない」と告白されます。 「決算書を見て驚きました。当時の年商は約9億円でしたが、借り入れが倍の18億円もあったんです。正社員数は30人にまで増えていましたが、母体は家族なので経営が緩かったのです」 「採算の取れないカエルの養殖を始めたり、奔放な経営がたたったり、赤字の原因は一つでなく複雑です。私は父に『自分が何とかするから、役職に就いて陣頭指揮を執らせてほしい』と頼みました」 専務に昇格した澤田さんは、コンサルタントや税理士と事業計画の見直しをはかります。「泣く泣く10人をリストラした」ほどの大きな改革でした。
ふりかけグランプリで金賞
窮状にあえぐ澤田食品に2014年、一筋の光が差しこみます。それは会社に届いた1枚のファクスがきっかけでした。 「それまで会社の誰が何をしていて、どの部署にどんな連絡があったのかがわからず、混乱した状態でした。『どんな内容のメールでも私に転送して、ファクスも届いたらすべて見せてほしい』と従業員に指示したんです」 そんなファクスのなかに1枚、熊本県で開かれる全国規模のふりかけコンテスト「第1回全国ふりかけグランプリ」(国際ふりかけ協議会主催)の案内が紛れ込んでいました。 「当時はすがる思いで、やれることはすべてやりたかった」という澤田さん。人気商品「いか昆布」でエントリーし、金賞を射止めたのです。 「1回目ということもあって注目度が高く、人生で初めて囲み取材を受けました。帰りの新幹線でも反響の電話が鳴りっぱなし。翌日からたくさんテレビにも出ました。注文の電話も殺到し、売り上げは急上昇したんです」