働くことに潜む「呪い」(4) 高収入=いい仕事? エライ人?
私たちは自分や他人の賃金の多寡に少なからず関心を抱きます。ビジネス雑誌などで、平均年収が高い会社ランキングが特集されることがありますが、ランキング表に載っている他社の数字と自分自身の給与を見比べ、一喜一憂した経験がある人もいるのではないでしょうか。しかし、そのことばかりに縛られすぎると、大切なことを見失ってしまうかもしれません。 働くことに潜む「呪い」(1) 働くって何? 一体、私たちはなぜ「働く」のか。「仕事」、「賃金」とは何なのか── 。この連載は、そうした「働く」ことに対し、無意識に持ってしまった「当たり前」や自分を縛り付けて苦しめている「呪い」をテーマに、哲学対話が専門の小川泰治さん(宇部工業高等専門学校講師)が執筆していきます。
筆者より
前回の寄稿では、働いて得るお金と幸せとの関係をめぐって、「働いて『お金持ち』になればなるほど幸せになれるのか」を考えました。 お金は私たちの幸せのための「必要条件」ではあるかもしれませんが、お金があればあるだけ幸せになれる、というのは幻想です。そのことを自覚せずに、「何のために働くのか?」という問いに対し、本来幸せになるための手段であるはずのお金を目的として考えてしまうと、働くことの意味や可能性を狭めてしまう呪いにつながると論じてきました。 今回は、働くこととお金と幸せの関係を考えるときのもう一つの論点として、賃金という仕組みそのものが知らず知らずに私たちに与えている影響について取り上げます。
給料が増えるとうれしいのはなぜ?
私には給与が支払われると「給与明細をくまなく見つめる」という趣味があります。そこには「もっとお金が増えないかな」という夢も含まれていますが、もう一方では、自分のこの一か月の仕事がどのくらい評価されたのかを知りたいという気持ちも含まれています。だから、給与が増えてうれしいのは「単純に生活に使えるお金が増える」ということだけではなくて、「自分のがんばりをちゃんとお金というかたちで認めてくれたんだ」という承認欲求が満たされた気持ちでもあります。 それでは、このような仕事の賃金が自分自身の仕事内容に対する「正当な評価(報酬)」になるという観点について考えてみましょう。 これまで見てきたように、お金は「私たちの生活を保障し、その質を高めてくれるもの」であるのと同時に「仕事ということに関しては、自分自身の努力や成果を最もわかりやすく評価してくれるもの」という性格も有しています。そして一般には、仕事に対して支払われる賃金が上がることは、「その人の仕事上の価値が高まり、それが正当に評価された結果である」と考えることができます。その意味で、仕事において収入が上がることは、「私たちが仕事上周りからより高く評価される、言い換えれば、承認される出来事だ」ともいえそうです。 日本の場合は、「終身雇用」や「年功序列」といった慣習が強かったのですが、上述したことと関係して、最近は能力に応じた評価や同一労働同一賃金への導入に向けた議論や制度化が進められるようになってきました。 確かに、高収入の仕事が高収入であるゆえんは、大変シンプルに考えれば、「その仕事(あるいはその仕事を担うその人)にはそれだけのお金を払う価値があること」を意味しています。そうすると、お金による評価、承認ということを考えたとき、確かに、「お金があればあるほど私たちはより承認、評価を獲得することができる、そして結果として幸せになれる」。そんな風にも思えてきます。 また、翻って考えてみるなら、収入が低いことの辛さは、前回述べたようにお金がないことによる生活上の不自由さ、ということもありますが、同時に仕事上での「自身の価値が十分ではない」という受け止め方にもつながっていくことがわかります。長年時間をかけて懸命に取り組んでいる仕事なのに収入が周りと比べて低いという経験は、「自分が社会に承認されていない」という感覚を強くさせるのです。