明治期の日本に欧米人が驚いた「貧しくても前向きな庶民と無防備すぎる家」
日本の独特な文化や伝統は、今も昔も外国人観光客の興味をひいてやみません。幕末から明治期まで作られていた手彩色を施された古写真は、主に欧米からの観光客のお土産としてたいへん喜ばれていました。よく売れるものは何の変哲もない庶民の生活の一部を切り取ったものだったそうです。 欧米人は庶民たちの何気ない日常を活写した古写真を見て、何に興味を持ち、何を不思議に思ったのでしょうか? 大阪学院大学経済学部教授 森田健司さんが解説します。
貧しくても、楽しく生活する日本の庶民たちに欧米人は驚く
明治時代中期に隆盛を極めた手彩色写真は、基本的に海外からの旅行客に向けた商品だった。そのことから、選ばれたモチーフは「外国人ウケ」するものが中心となる。よって、当時の彩色写真を調べれば、外国人が日本のどういったところに魅力を感じていたか、知ることができるのである。 それでは、当時の彩色写真で、最も多かったモチーフは何だろうか。分類方法によってその答えは変動するが、広く言えば「庶民の生活」をテーマにしたものである。つまり、日本の上流階級が築いていた文化より、一般の、名もない人々による日々の暮らしに、特に欧米からやって来た外国人は魅了されたのである。 これには、明確な理由がある。当時、最先進国であった英国やフランスは、厳格な階級社会だった。彼の地における階級制度は、日本の江戸時代の身分制度などとは比較にならないほど固定化され、強烈なものである。だから、当時における欧米の庶民文化とは、上流階級が築いたものを、ただ大幅に劣化させただけのものだった。 ところが近世日本の庶民は、上流階級のものとは全く異なる「独自の文化」を作り上げていた。例えば、浮世絵や絵草子をはじめとした出版文化であり、屋台を含む外食文化であり、歌舞伎や落語などのエンターテインメントである。そしてその基礎には、庶民が「豊かではないが、貧しすぎるほどでもない」経済的水準で生きていたという事実がある。 時代劇で「厳しい年貢の取り立てにあえぐ、受動的な農民」像を植え付けられた我々には、このことはにわかに信じがたい話ではある。しかし、実際に江戸時代を体験した欧米人の証言は、先の話を裏書きする。 例えば、1856(安政3)年に下田にやってきた初代アメリカ総領事のタウンゼント・ハリス(1804-1878年)は、このようなことを記している。 「この土地(筆者注:下田のこと)は貧困で、住民はいずれも豊かでなく、ただ生活するだけで精いっぱいで、装飾的なものに目をむける余裕がないからである。それでも人々は楽しく暮しており、食べたいだけ食べ、着物にも困ってはいない。それに、家屋は清潔で、日当りもよくて気持がよい。世界の如何なる地方においても、労働者の社会で下田におけるよりもよい生活を送っているところはあるまい」 ―ハリス著、坂田精一訳『日本滞在記(中)』(岩波文庫)、103ページ この文章が記されていたのは、ハリスの私的な日記である。そして、彼は決して日本に好感を持つ人物ではなかった。この二つの事実は、先の描写の信憑性を高めるものだろう。