明治期の日本に欧米人が驚いた「貧しくても前向きな庶民と無防備すぎる家」
不思議な「木と紙でできた家」
冒頭に掲載したものも、ここに示したものも、明治中期頃に撮影された写真である。共に、当時の日本人からすればどこが面白いのか、理解しがたいものだったことだろう。しかし、外国人旅行客は、高い金を出して、これらを買い求めた。庶民の文化を知ることができたからだが、特に「家屋」が写っていることが重要だった。 デンマーク人のエドゥアルド・スエンソン(1842-1921)は、1866(慶応2)年に日本にやってきた。彼は、日本の家屋について、次のように語っている。 「頑丈な木の壁のあるのは家の両横だけで、正面と裏には、木綿布のような白い紙の張られた左右に動かせる戸がついている。この紙は、どんなに貧しい家でも一年に何回か張り替えられる。これと木造の柱の自然な配色が、家がいつも新築であるかのような印象を与えている。あらゆる方面で発達している日本人の美的センスは、どんな種類の塗料、ラッカーよりも白木の自然な色を好むのである」 ―E・スエンソン著、長島要一訳『江戸幕末滞在記』(講談社学術文庫)、56ページ 幕末から明治にかけて訪日した外国人の多くのは、このように日本の家屋について詳しく描写した。それは「木と紙でできた家」が、彼らにとって不思議な存在であり、また、あまりに美しかったからである。 それでは逆に、欧米諸国の住宅が「木と紙」で作られていなかった理由は何だろうか。それは何より、防犯上問題があるからである。そのような脆い材料で作られた家は、簡単に壊すことができるし、侵入するのもたやすい。それにもかかわらず、当時の日本の家屋が、物理的にはひどく弱々しい作りだったのは、盗難の不安が少なかったからだろう。 江戸時代が終わり、明治時代も終盤に差し掛かった1909(明治42)年、ロシア国籍のタタール人、アブデュルレシト・イブラヒム(1857-1944年)は日本を訪れた。その彼は、こう書き残している。 「日本の治安は完璧である。町であろうと村であろうと、盗難などの発生はめったにない。私はよく野山を一人で歩きまわった。途中で疲れきって眠りこむこともよくあった。ときには手元にいくばくかの荷物もあった。しかし、一度たりとも盗まれはしなかった。滞在していた宿の主人を観察していても、門に閂(かんぬき)をかけるような習慣はまったくないようだった。たとえそうしたとしても、あんな壁では一蹴りされればたちまち倒されてしまっただろう」 ―イブラヒム著、小松久夫他訳『ジャポンヤ』(第三書館)、209ページ スエンソンの来日から、実に60年以上経過した時代である。このときも、まだ庶民の家屋は、外国人からこのような驚き方をされていた。 「木と紙でできた家」の写真が、外国人旅行者に好まれていた理由。それは、写真の背後に庶民の豊かな文化と、高い道徳心が透けて見えていたからに違いない。 (大阪学院大学経済学部教授 森田健司)