「最寄り駅」じゃない方の“ナゾの登山駅”「富士山」には何がある?
土産物店が入って富士山展望デッキなどもあるが、ダイソーに魚民、無印良品、モスバーガー。まあごく一般的な店が入っている。このあたり、富士山の玄関口というよりは富士吉田市の玄関口、富士山駅といったところだろうか。
駅ビルに囲まれた改札を抜けると鳥居が見えてきた
富士山駅のホームは、この駅ビルにすっぽり囲まれている。改札を抜けた先、どこに向かえば駅の外に出られるのかも一瞬わからなくなってしまう。 もちろん駅ビルの中を抜けてもいいし、改札を出て右か左に折れて外に出てもいい。“正面”というべき出入口は、駅の北側だ。北側の出入口には鳥居が設えられていて、いかにも正面玄関という構えを見せてくれている。 そして、北側の出入口の鳥居をくぐって外に出て、右手に向かって歩いてゆく。駅ビルの駐車場が広がる脇を抜けていけば、ちょっとした公園。その先は、北東から南西に走る国道へ。 すぐ脇の交差点には、ここにも立派な鳥居が建つ。金鳥居といい、富士山が聖域だった時代に聖と俗を隔てる結界のような鳥居だったという。最初は1788年に建てられて、現在のものが建ったのは1955年。この鳥居のまっすぐ南には、富士山が堂々と聳えている。 金鳥居の建つ国道は、「富士みち」ともいう古くからの富士登山のメインルートだ。そして、いまでは富士吉田市のメインストリートにもなっている。
「富士山信仰のシンボル」を抱える“宗教都市”を歩く
南の端の上宿交差点で東に国道138号(旧鎌倉往還)、西に国道139号へと分かれる。富士スバルラインは国道139号の先から。 旧鎌倉往還を少し歩くと、北口本宮冨士浅間神社が見えてくる。富士の裾野の鬱蒼とした森の中に境内を拡げる神社で、本殿は国の重要文化財。世界遺産構成資産のひとつになっている。 同時に北口本宮冨士浅間神社は富士登山の起点にもなっていて、信仰の対象としての富士山のシンボルのような存在でもある。金鳥居を潜って進むその道も、北口本宮冨士浅間神社の参道のような位置づけなのだろう。そして、北口本宮冨士浅間神社の門前町である富士吉田の町そのものも、富士信仰の拠点として栄えた町である。 富士山駅から北口本宮冨士浅間神社にかけての一帯は、「上吉田」と呼ばれる。江戸時代、上吉田一帯、いまの国道沿いには御師の屋敷が100軒近くも並んでいたという。 御師とは、富士登山者(参詣者)のためにあれこれ世話をしたり手配をしてくれる、いまでいう旅行代理店のような存在だ。上吉田では宿坊を営み、参詣者たちはここで宿を取って本格的な登山に備えた。 江戸時代の富士登山は、いわゆる“富士講”によった。各地で講が形成され、代表者数名が代参するのがよくあるパターン。御師は檀家巡りをして富士信仰の布教を担う役割も持ち、江戸の町には江戸八百八講と言われるほど富士信仰が盛んになったという。