[猫学48回目]「猫学(ニャンコロジー)」を22倍くらい楽しむ方法
犬派か猫派か?
猫学を書いているくらいだから、当然に猫派でしょうと聞かれることがよくあります。念を押すような言い方が多い印象です。「いや、まあ、そうですねえ……」と、口ごもってしまいます。 ここだけの話ですが、もともとは犬派です。日本犬の歴史や忠犬ハチ公の生涯を深掘りした「秋田犬」(文春新書)という本を書いたこともあります。 なぜ猫学を書いているかというと、猫という存在を自分なりに理解したいと考えたからです。子どもの頃、飼っていたペットのリスを猫に連れ去られた経験があります。猫の飼い主がリスを返しに来ましたが、リスは両肩を脱臼する大けがをしていました。猫が連れ去った際、がぶりとくわえられていたためでしょう。 猫は油断ならないと、子どもながらにそんな印象を持つようになり――自他共に認める生きもの好きではあったものの――猫には複雑な感情を抱いたまま大人になりました。
そうした中、猫に関心を高めるきっかけは14年、パリ画壇の花形だった藤田嗣治(つぐはる)(1886~1968年)の作品を知ったことです。大壁画「秋田の行事」を目の当たりにして度肝を抜かれ、こんな画家が日本にいたのだと興味が募りました。 1920年代のパリで藤田嗣治を有名にした裸婦像や肖像には、猫が名脇役として登場します。自画像では、ロイド眼鏡におかっぱ頭の容姿と一緒に描かれた猫が、藤田の印象を決定づけ、「猫の画家」とも呼ばれます。パリの猫の展覧会で審査員を務めたこともありました。同じく猫好きだったピカソとも交友があり、この世を去ってもなおその作品が人気を博す数少ない日本出身の画家でもあります。
藤田のパトロンだった平野政吉氏のご子息に何度もお話を聞く機会がありました。実際に藤田と会った際のエピソードをうかがったり、当時の未公開写真を拝見したりするにつれ、藤田への関心がますます高まったのです。藤田研究の第一人者で文化庁芸術文化調査官(当時)の林洋子さんに取材し、林さんが著した藤田関連の本を何度も読みました。 藤田という希代の芸術家にインスピレーションを与えた猫。藤田とその作品が、自他共に認める生きもの好きの私に、遅まきながらも猫への関心を高めるきっかけをくれたのでした。 24年最後のコラム「猫学を22倍くらい楽しむ方法」はいかがでしたか。来年も、猫学の統一テーマ「人と猫がともに幸せになる方法」を皆さんと探究したいと念願しております。