時代に翻弄された名家「足利」姓の秘密とは【名字博士が解説】
名家の名字:足利(あしかが)
「足利」というと、室町幕府将軍家の足利氏を思い浮かべる人が多いと思います。実は、足利氏には2つの流れがありました。いずれもルーツとなったのは現在の栃木県足利市です。 平安時代、藤原氏の一族が足利に住んで足利氏を名乗り、足利郡に大きな勢力を振るいました。藤原氏の一族のため藤(とう)姓足利氏といいます。しかし、源平合戦の際に平家方に属したため没落してしまいます。 このあと、清和源氏の源義国が父義家から足利荘を譲られて土着し、その子義康が足利氏を名乗りました。この子孫が鎌倉幕府の有力一族となり、そこから尊氏が出で室町幕府を開くのです。 将軍家では、本家と、ごく近い分家以外は「足利」を名乗らず、「今川」「吉良」など別の名字を名乗りました。そのため「足利」という名字はあまり多くありません。 足利将軍家は、15代将軍義昭のときに織田信長によって京を追放され、事実上滅亡しました。 このあと、関東の古河(現在の茨城県古河市)にいた一族の古河公方の子孫は下野喜連川(きつれがわ、現在の栃木県さくら市)に移って喜連川氏と改称し、江戸時代は5000石ながら10万石格の大名として存続しました。明治維新後は名字を「足利」に戻して、現在まで続いています。 現在は各地に点々とありますが、とくに広島県に多くあります。これは、将軍の座を追われた足利義昭が備後国鞆(現在の広島県福山市鞆町)に住んでいたことと関係がありそうです。
森岡浩/Hiroshi Morioka
姓氏研究家 1961年高知県生まれ。早稲田大学政経学部在学中から独学で名字の研究をはじめる。長い歴史をもち、不明なことも多い名字の世界を、歴史学や地名学、民俗学などさまざまな分野からの多角的なアプローチで追求し、文献だけにとらわれない研究を続けている。著書は「全国名字大辞典」など多数。
家庭画報.com