新妻聖子「ブランチのリポーターから帝劇の『レミゼ』で衝撃のミュージカルデビュー。いまは息子の成長が1番の喜び」
◆オペラ『夜の女王のアリア』を歌っていた子ども時代 人前で歌う楽しさを知ったのもタイにいた時でした。もともとうちの家族は全員歌が大好き。父がCDのコレクターだったこともあり、家には小比類巻かほるさんからオペラまで、ありとあらゆるジャンルのCDがありました。 なかでも私が惹かれたのが、オペラのアリア集です。幼いころから、家で『夜の女王のアリア』などを真似して歌っていました。小学校低学年の頃は工藤静香さん、Winkさんなど日本のアイドルも好きでしたね。 私がタイに行ったのは小学5年生の時でしたが、現地では日本人が経営するカラオケ店が大人気で、私も初めてカラオケで歌うという経験をしました。歌う私を見て、友達が「聖子ちゃん上手~! 今度はこれを歌って!」とか「次はあれを歌って!」と喜んでくれるのがものすごく嬉しくて、「歌手になりたい」という想いが強くなりました。 わが家は、私も姉(シンガーソングライターの新妻由佳子さん)も歌に関わる仕事をしているため、よく「ご両親も音楽関係の仕事を?」とか「どこかで声楽を学ばれたんですか?」と聞かれます。 でも父はメーカー勤務のサラリーマンですし、母は専業主婦。身近に芸能の仕事をしている人もいません。私自身ピアノは習っていましたが声楽を学んだことはなく、歌は現在に至るまで独学です。ただ父も母も歌が上手いので、何かしらの遺伝はあるかもしれないと両親に感謝しています。
◆TBS『王様のブランチ』のリポーターとして活躍 歌手になりたいという夢は、かなり早くから持っていました。姉に「私は将来スーパースターになる!」と宣言し、授業中に必死でサインの練習をしていたくらいですから。 ちなみに、小学生の時に思いついた「名前が平仮名で苗字がアルファベットの組み合わせ」というサインは、今でも使っているんですよ。思い込みから始まって、ラッキーなことに現実が追いついていった感じです。(笑) とはいえ、順調に歌手になれたわけではありません。タイから帰国後、大学在学中にあちこちのオーディションを受けてデモテープもたくさん作ったものの、レコード会社は決まらず……。大学3年生になろうとしていた頃には、「やはり歌手になることは諦めて、地に足を付けて働こう」と就職活動をスタートさせていました。 ところがその矢先に、TBS『王様のブランチ』のリポーターのお仕事を頂いたんです。タレント活動を始めるか、このまま就職活動をするかの2択を迫られました。 企業に就職してしまえば歌手への道は絶たれるけど、タレント活動をしていればいつか歌に繋がるかもしれない。「やっぱり私は歌いたい、歌うことを諦められない」という想いが溢れて、わずかな可能性に賭けてみようと思いました。 生活面で親のサポートに頼るのは学生の間までと自分で決めていたので、「大学卒業までに歌手になれなければ、きっぱり諦めて就職しよう」と自分で期限を定めた上で、リポーターのお仕事に挑戦させてもらうことにしました。 初めて飛び込む芸能の世界はわからないこと、できないことだらけで、必死でリポーターの仕事に取り組んでいたら、あっという間に半年が経って、私は大学4年生になっていました。自分で定めた期限まであと少し。そんなタイミングで、ミュージカル『レ・ミゼラブル』のオーディションに呼ばれたのです。