義父母の介護のホンネ。明るくパワフルだった義母を変えた認知症。90歳の義父が、必死に家事をこなす<スーパーお爺ちゃん>に成長した
厚生労働省の「令和4年度 国民生活基礎調査」によると、同居している家族が介護を行う割合は全体の45.9%で、そのうち<子の配偶者>は5.4%だそう。そのようななか、翻訳家・エッセイストとして活躍する村井理子さんは、仕事と家事を抱えながら、認知症の義母と90歳の義父の介護を続けています。そこで今回は、村井さんの著書『義父母の介護』から一部引用、再編集してお届けします。 【書影】それって妻の義務ですか!?本音150%の介護奮闘記!村井理子『義父母の介護』 * * * * * * * ◆驚くほど穏やかになった義母 2022年の年明けから数か月は息子たちの高校受験や中学卒業、そして高校入学、入学後オリエンテーションなどが重なった。スケジュール管理が苦手な私にとってはまさに地獄の日々だった。 そしてもちろん、義理の両親の介護は同時進行だ。 息子たちの入学準備でバタバタしているその渦中に、デイサービスとの調整が襲ってくる。そのうえ、確定申告まであった。 夫は仕事が多忙過ぎて、家に戻ってもため息ばかりついていた。 ため息をつきたいのはこっちだが、こうなったら仕方がないと私はいつものようにフル回転して、目の前の仕事を処理する日々だった。 そしてすべてが終わり、ようやく自分の時間を取り戻しつつある最近になってふと気づいてみれば、認知症の義母がびっくりするほど穏やかになっていた。
◆認知症発覚前の義母 認知症発覚からそろそろ3年になるが、それまでの義母と言えば、「関西ナンバーワンのきつい姑」、「地獄のお母様」と噂になるほどの人だった。 明るく、何ごとにも前向きで、働き者の完璧な主婦だったし、自分の好きなことには一直線の人だった。精力的に外出し、友人も多く、社交的。本を読み、音楽を聴き、映画を観ては人生を謳歌していたように思う。 町内会でもボス的存在で、三丁目のAさんが定年退職したらしいとか、五丁目のHさんはご両親と同居するため引っ越したなど、情報のすべてを掌握していた。 その一方で、息子夫婦(私と夫)の生活や、孫たちの教育に関して私に意見を言うことを躊躇しなかった。 つまり、とてもパワフルな人だったし、それだけに私にとってはやっかいな姑という一面もあったのだ。 とにかく、彼女は個性が強く、意志が強く、言葉が強かった。おまけに身体も頑丈だった。それはいいことなのだけれど、こっちは体力があまりない。双子の世話、自分の病気……書き出したらきりがない。 だから、彼女が勢いよくわが家にやってきたりすると、私はとことん削られ、本当に、本当に……。
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