水戸黄門で「200回以上お風呂に入った」由美かおる、60年変わらない美貌の“ライフワーク”
30代は『水戸黄門』出演でファン層を広げる
番組を見た裕次郎さんたっての申し出で、映画『夜のバラを消せ』で共演することになった。 「裕次郎さんの奥様・まき子さんのはからいで、石原さんのご自宅に泊めてもらいながら、撮影所に通いました。最初からとても恵まれていて、本当にありがたいことです」 次から次へとオファーが来て、16歳で上京、女性マネージャーと一緒に生活する。 「母が心配して、しょっちゅう新幹線で来てくれて、お料理や掃除をしてくれました。やっぱり母の手料理が好きで、昆布でとった出汁で野菜を炊いたものなどがうれしかったな」 両親が扱う新鮮な野菜を食べて育った由美さんにとって、母の薄味の野菜料理は、疲れた身体と心をなぐさめてくれるものだった。 翌1967(昭和42)年には、金井克子さん、奈美悦子さんなど西野バレエ団5人娘で“レ・ガールズ”が組まれた。その歌とダンスは熱狂的な支持を受け、音楽バラエティー番組『レ・ガールズ』も放送された。当時、バックバンドでドラムスを担当していた信見茂さんは、 「由美さんは特に元気のいい子でしたね。どんなドラムを叩いても最後までついてくる根性のある子で、この子はスターになると思いましたね」 と振り返る。 『レ・ガールズ』『ヤング720』のレギュラー番組に加えて、映画、ステージなどもあり、睡眠時間は連日2~3時間。移動中の車や新幹線の中で眠っていた。『ヤング720』ではイタリアに取材に行き、モニカ・ヴィッティやジュリアーノ・ジェンマなどの俳優のインタビューもこなしてもいる。その時知り合ったレコード会社の社長の依頼でイタリアでレコードを発売し、ベネチア国際音楽祭で歌ったり、ブラジルの国際音楽祭に招かれたり、まさに目の回る忙しさだった。 1973(昭和48)年、22歳で撮った映画『同棲時代~今日子と次郎~』ではヒロイン今日子を演じ“同棲”という言葉とヌードを載せた大胆なポスターも話題になった。初めてのベッドシーンもあり、「父はかなりショックだったようです」。 さらに、同年の『しなの川』では、天真爛漫な少女の役でヌードを披露するが、由美さんの健康的なヌードは、若者だけでなく、著名人のファンも多かった。作家の小松左京氏もそのひとりで、自身の原作映画『エスパイ』に出演を依頼。由美さんは映画、ドラマ、ミュージカル、レコード収録など、さまざまな仕事をこなしていく。 転機となったのが時代劇『水戸黄門』での、くノ一『かげろうお銀』役だ。“これまでにないキャラクターの女忍者を”というプロデューサーの意向に応えて、由美さんが衣装をデザイン。ミニ丈の着物に網タイツにブーツという動きやすく、カッコよく、そしてキュートな衣装を考え、知り合いの洋装店に仕立ててもらった。時に由美さん、36歳。立ち回りでは蹴り技も背負い投げも受け身も軽快にやってのけた。 「合気道四段なんです。それに長年バレエをやっていましたから、立ち回りは好きでしたね。スカッとしますから」