水戸黄門で「200回以上お風呂に入った」由美かおる、60年変わらない美貌の“ライフワーク”
習い事で忙しい生活
一方で、兄と一緒にそろばん塾にも通い、計算は得意。休みの日はお店を手伝って、店頭に立つこともあった。 「父は、美人のお客さんが来ると、大まけにまけちゃうの。母としては大変ですよ。苦学生が来ると“卒業するまで何でも持って行っていいから、ちゃんと勉強しなさい”って、困っている人を助けることも。大人になって、“実は由美さんのお父さんに助けられた”という人に出会い、父もいいところあるなと思いました」 バレエにピアノに声楽、そろばん塾……と習い事で忙しい生活を送っていた由美さんが、6年生のときだ。 「“大阪の京橋に有名なバレエ団があるから一緒に行かない?”って学校のお友達が誘ってくれたの」 それが西野バレエ団。入ってみると、レベルの高さに驚いた。クラシックバレエだけでなく、ジャズダンスも教えており、のちに歌手や女優で活躍する金井克子さんもいた。大人っぽくて、カッコよくて、もっと上手になりたいと、片道1時間半かけて通い、熱心に稽古に励んだ。ここで西野皓三氏と出会い、由美さんの人生は大きく変わる。 西野バレエ団は1953(昭和28)年に西野皓三氏によって創設された。西野氏は留学などで研鑽を積み、団員たちを率いて古典的なバレエからモダンなダンスまで構成・演出・振り付けをして上演。テレビ番組の企画や振り付けなども手がけていた。1966(昭和41)年、カラーテレビが登場、ワイドショーが次々と生まれる。西野氏は各テレビ局から企画・構成・振り付けを頼まれた。 「中学3年生のときです。西野先生に呼ばれて“読売テレビの『11PM』で新しいコーナーを作ることになった。歌って踊るコーナーだが、やってみないか”と言われたの」 両親は、習い事は何でもさせてくれたが、まさか娘が芸能界に入るとは思ってもいなかった。 「特に父は猛反対。女の子は私ひとりだし、可愛かったんですね。私も、頑固な父の娘ですから、ハンガーストライキをして、やらせてくれるまで頑張りました(笑)」 西野氏も来て、説得してくれた。とうとうお父さんは折れて、 「やるからには途中で諦めてはいけない。まじめにやり遂げるなら、やってもいい」 という約束で認めてもらいデビューとなった。 まばゆい照明の中、ミニスカートで歌って踊る15歳の少女。後ろには、バックダンサーとコーラスもついての撮影。すべては初めての経験だ。 「先生とスタッフのみなさんが考えてくださって、私は懸命に歌って踊りました」 5分のビデオ出演は大反響となり“由美かおる”は鮮烈デビューを果たす。