「よそもの」であるが故に気づくこと。NYで活躍する漫画家が表現する、''枠からはみ出た''物語
── ハラさんの作品には、ごみだらけの海や、下水や石油で汚染された川など、「今」を象徴するようなリアリティを持つ場所が登場します。そういった視点はハラさんの制作にどのような意味を持ちますか? ただの「空間(space)」がある「場所(place)」として意味を持つには、そこで何かをしたとか何かが起こったという記憶が必要になると思います。自分が滞在したり何らかの形で関わったりしたことでその場所が変わっていくのと同時に、その場所に関わったことで自分もそれまでと全く同じではいられなくなる。そんな場所と人との相互作用みたいなものにすごく興味があります。 おそらく、昔から引っ越しが多かったので、「私にとって故郷ってなんだろう」と考えることも多くて、「場所」の概念に惹かれるようになったんだと思います。特定の土地ではなく、移動そのものを故郷と呼ぶことはできないか。移動者、移動を繰り返す人が行く先々でそこを自分の故郷を見るように関心と愛着を持って眺めて、「よそもの」であるが故に気づくことができた何かを中心にストーリーを作る。その視点には価値がある、表現する意味がある、と思っています。 ── イギリスの大学院を出た後、ハラさんは幼少期に滞在されたアメリカのジョージア州に戻っていますが、「アメリカ南部」という場所がハラさんに与えた影響は何でしょうか? アメリカ南部には他の場所にはない歴史と自然環境があって、それらが子どもの頃に滞在した思い出ともあいまって、私にとって特別な場所になっています。 まずサバンナの海。運がよければ浜辺で泳いでいるとエビ釣り船を追うイルカの鳴き声が聞こえます。巨大な流木や強い風が吹くと一夜にして形が変わる砂浜は圧巻。ジョージア州は比較的海岸線が短いのですが、沖合には絶滅危惧種のタイセイヨウセミクジラが繁殖にやってきたりと、結構スペシャルな海なんです。 そう遠くない過去にはその海から奴隷船もやってきていた。奴隷制の記憶は色濃くて、私が借りていた部屋も元は奴隷にされた人たちが暮らしたSlave Quarters(奴隷宿舎)と呼ばれる建物にありました。そんな場所で黒人でも白人でもないアジア人の、しかも移民(といえるかも定かではない新参者)である自分には何ができるのかを考える中で、少しずつアーティストになるという自覚が芽生えていったと思います。 ── ステレオタイプを生み出すのも物語、またそれを崩すのも物語かと思います。ハラさんは現代において物語の重要性はどのようなものだと考えますか? 立ち聞き、というと聞こえが悪いですが、私は知らない人の会話を耳にするのが好きです。なぜかいつまでも覚えていたりする話もあって、どうしてこんなに印象に残っているのだろうと後から改めて考えさせられたりします。 最近でいうとたとえば近所のおじいさんおばあさんの、イノシシが尾道水道を泳いで渡る、という話。非現実的なその場面の映像が頭に浮かび、思わず「えっ」と振り返ってしまいそうになる、ビビッドなうわさ話でした。 いそがしい毎日を過ごしていると目の前にある課題で精一杯で視野が狭くなり、人とのちょっとした違いが許せなくなったりもします。そんなとき、短くても些細なことでも思いがけない物語に触れると突然またパッと世界が開けたりする。それってやっぱり物語の力だなと思います。 ── 新作は日本の場所に関わることだそうですが、どのような作品になる予定ですか? ゲームボーイに夢中な女の子と、その母、祖母、曽祖母と四世代の家族が暮らした京都のある町の話を作っています。長編は制作に時間がかかり、制作ペースの遅い私は途方に暮れそうになるので、その傍で短くてすぐに完成する俳句コミック、名付けて「Comi-ku(コミク)」も制作しています。 日本各地を旅して行く先々での感慨や発見を大切にした芭蕉にあやかり、5・7・5の3つのセクションからなる俳句のコミック版のような3コマ形式で、毎週水曜日にInstagramとサイトで更新中です。これはその1つで、書類に個人情報を記入しなければいけないとき、人種や性別、職業の欄で何を選んでいいかわからないときがあるよね、そもそも狭い選択肢の中から選ばなくてもいいよね、という想いで作りました。