睡眠は「脳の誕生」以前から存在していた…なぜ生物は眠るのか「その知られざる理由」
脳を持たない動物「ヒドラ」
私は幼少期から生き物が好きだった。山口県で生まれた私は、周囲を山々に囲まれた自然豊かな環境で育ち、幼い頃から生き物に興味を持った。小学生になると夏休みを使い、自宅のみかんの木にいるアゲハ蝶の幼虫の観察をしていた。毎日観察をしたいという理由で、夏休みに計画していた家族旅行が中止になることもあったらしく、その熱中ぶりに両親は驚いたそうだ。普段はほとんど動かないように見えるアゲハの幼虫も、蛹になる前には大移動をして安全な場所を探す。生物の本能行動は面白く、神秘的に感じた。中学校や高校に進学しても、一貫して生物に焦点を置いた研究を続け、大学では迷わず理学部生物学科に進学した。 入学してすぐに「ヒドラ」という興味深い動物を扱う研究室に所属した。ヒドラは、クラゲやサンゴの仲間であり、体長1センチメートル弱ほどの小さな動物だ。細長い体の先に触手を備えているが、クラゲのように水中を浮遊するのではなく、水底に付着して生活する。ヒドラは進化の過程で、約6億年前に他の動物と分岐した。ヒトが誕生したのは約500万年前というから、私たちとは随分かけ離れた原始的な動物である。 ほとんどの動物は、無数の細胞が集まって器官や臓器を形成する複雑な構造をしているのに対し、ヒドラは体の内側と外側の二つの細胞層からなるシンプルな体の構造である。二つの細胞層の間に神経細胞が存在するが、中枢がない。つまり、「脳を持たない動物」である。しかし、顕微鏡で拡大してよく観察すると、意外に複雑な動きをするから面白い。私たちのように歩いたり走ったりするわけではないが、伸びたり縮んだり体をくねらせたりする。 ある日、実験室で飼育用のビーカーの中にいるヒドラを眺めていると、ヒドラが時折じーっと動かなくなることに気が付いた。眠っているのだろうか。もし脳が無くても眠るとしたら……「睡眠は脳のためにある」という大前提を疑いたくなった。私が、図らずも謎に満ちた睡眠研究の世界に足を踏み入れた瞬間である。