パリオリンピックを一切見なかった理由
少々タイミングを外した話題になるが、8月12日、パリ・オリンピックが閉幕した。 といっても自分には何の感慨もない。そもそもテレビ中継は一切見なかったし、ニュースも追いかけなかった。人生を賭けて参加した選手の皆さんは、メダルを獲得した方も獲得しなかった方も、等しくご苦労さま。So life goes on…… 「何を冷たいことを」と言われそうだが、私は、2020東京五輪(2020年開催予定だったが、コロナ禍で1年延期して2021年に開催)以降、オリンピックそのものに興味を失っている。 以前、東京江東区に長く住んだ、古老といってもよい方に、1964年の東京オリンピックの印象を聞いたことがある。 「まあ、ここらへんに住んでいると、“川向こう”でなんかやっているなあ、という印象でしたなあ」と言われ、へえっ、そういうものなのか、と驚いた。「川」とは東京都の東側を流れる隅田川のことである。 1964年に自分は2歳。東京在住だが、全く記憶にない。一番古い東京オリンピックの記憶は、その2年後、1966年に大ヒットしたNHK朝のテレビ小説「おはなはん」だ。最終回には、波瀾万丈(はらんばんじょう)の人生の末に年老いた主人公「おはなはん」(演じるは樫山文枝)が、テレビで東京オリンピックの開会式を見るシーンがあった。そこで、明治から続く物語が、視聴者のいる「現在」に接続されるという凝った趣向だ。4歳の自分は、「テレビドラマ中の東京オリンピック」で自分の住む東京でオリンピックがあったことを知ったのだった。 その後、なぜか祖母に連れられて市川崑監督の記録映画「東京オリンピック」を見に行った。この映画は1965年3月にロードショー公開しているので、私と祖母が見たのはその後の再上映の時だろう。ロードショー公開は上々の興行成績を上げ、映画そのものも現在では記録映画の記念碑的傑作と評価されている。が、公開当時、自民党の大物政治家・河野一郎が、「記録性を全く無視したひどい映画」とコメントし、「オリンピック映画は記録に徹するべきか、あるいは芸術性も重視すべきか」で大論争が巻き起こった。今で言えば「炎上」である。 ●市川崑監督の映画「東京オリンピック」 自分が幼稚園児の目で見た市川監督の「東京オリンピック」は、大会中注目の的だった体操女子のベラ・チャフラフスカ(チェコスロバキア、当時)の演技と、黛敏郎による律動的な音楽だけが印象に残っている。 1964年の東京オリンピックでは、当初記録映画は黒澤明監督が撮ることになっていた。しかし予算などの条件が合わずに黒澤監督は降板。市川監督に話が回ってくる。それまで記録映画を制作したことがなく、そもそもオリンピックにも興味がなかった市川監督は相当悩んだようだが、当時監督が契約していた大映の永田雅一社長の鶴の一声で、引き受けることになった。 そこで参考になったのは、やはりというか1936年のベルリン・オリンピックを題材とした記録映画の傑作「民族の祭典」(レニ・リーフェンシュタール監督、1938年)だった。ちにみにリーフェンシュタール監督の映画は原題が「オリンピア(Olympia)」といい、2部構成の合計3時間を越える長大なもの。日本では「民族の祭典」「美の祭典」という2本の映画として公開された。 レニ・リーフェンシュタール(1902~2003)は、ダンサー・女優出身の映画監督、カメラマンだ。ナチスのニュルンベルク党大会の記録映画「意志の勝利」(1935年)の映像美で一躍名声を獲得し、ナチス政権の全面的なバックアップのもと、「民族の祭典」を監督した。彼女の作品の特徴は、徹底した美の追求にあり、そのためには競技後に選手を集めての撮影し直しも厭(いと)わなかった。 市川監督は、「民族の祭典」から「記録映画でも意図を強く押し出すための演出はありだ」ということを知り、「自分の意思とかイメージというものを重く見て、つまり創造力を発揮して、真実なるものを捉えたい」(市川監督の生前のインタビューより、引用元はhttps://www.joc.or.jp/past_games/tokyo1964/interview/)と考えて、映画を制作した。 とはいえ、リーフェンシュタール「民族の祭典」と市川崑「東京オリンピック」は、印象がかなり異なる。 私思うに、レニ・リーフェンシュタールの感性は今のオタク用語で言うところの「腐女子」に近い。とにかく美が最優先。それもダイナミックな筋肉美、肉体美に過敏なまでに反応する。「民族の祭典」でも、競技者たちの肉体の躍動が印象的に画面に定着されている。彼女は後に、アフリカ・スーダンの奥地に住むヌバ族の筋骨隆々たるレスラーたちを撮影した「ヌバ」(1973年)という肉体美に満ちた写真集も上梓した。 対して市川監督は、もっと大きな視点からオリンピックというイベントを捉えようとした。「4年に一度、人類が集まって平和という夢を見ようじゃないか。それがオリンピックの理念だ」(市川監督インタビューより)。