パリオリンピックを一切見なかった理由
私が最初に呆(あき)れたのは、五輪開催地立候補のパンフレットに開催時期の7月から8月にかけての東京が「温暖であるため、アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候」と書いてあることだった。 近年東京の夏は高温化傾向が著しいというのは、東京近辺に住む者なら誰でも知っていることだ。それを、「温暖」というのは、これは明らかな嘘ではないか。こんなみえみえの嘘をついてまでして開催したいオリンピックとは何なのか。すくなくとも参加する競技者のためのイベントとは思えない。 開催が決まってからも、大小のトラブルは続いた。 建て替えになる国立競技場のデザインで、一度は世界的建築家ザハ・ハディドの案が採用されるものの、もめにもめて白紙撤回になりデザインコンペのやり直しで隈研吾のデザインに変更された。もめた理由の1つが建築費用だった。当時の猪瀬直樹都知事はSNSのTwitter(ツイッター、現X)で2012年7月に「2020東京五輪は神宮の国立競技場を改築するがほとんど40年前の五輪施設をそのまま使うので世界一カネのかからない五輪なのです」と発言していたのに、予算1200億円で建て替えが動き出してしまい、蓋を開けてみるとハディド案の建設費用が3462億円と見積もられたことが火種となった。 結局隈研吾案で建て替えた新国立競技場も建設費1530億円と、当初見積もりを320億円もオーバーした。 東京五輪のエンブレムマークは一度は佐野研二郎氏のデザインに決定したものの、盗作疑惑が持ち上がって撤回。再度のコンペで野老(ところ)朝雄氏の案が採用された。 2018年12月には、竹田恆和JOC会長が、フランスの検察に東京五輪招致委員会理事長時代の贈賄容疑で捜査された。竹田理事長のフランスでの弁護士費用は、五輪開催費用から拠出された。 2020年1月からの新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的大流行)で、東京五輪は1年延期となる。正直。この時「これで東京五輪は中止になるか」とちょっとほっとした。「もはや祭典ではなく、厄災だ」というのが私の認識だった。 が、すべてを振り切って、2021年7月から8月にかけて、酷暑の東京で東京五輪は開催されてしまった。 終了後もごたごたは続いている。大会終了後の2022年8月には、高橋治之・東京オリンピック・パラリンピック組織委員会元理事が受託収賄で逮捕された。高橋氏の理事就任にあたっては当時の安倍晋三首相が「過去に五輪の招致に関わった人はみんな逮捕されている」と就任を渋る高橋氏を「大丈夫です。絶対に高橋さんは捕まらないようにします。高橋さんを必ず守ります」と政治権力による超法規的措置を示唆する言葉で口説いたという話まで出てくる始末だ。国家の一大原則たる法治はどこ行った? ●「安倍マリオ」と有職故実 実は私が決定的に「もうダメだ」と思ったのは、2016年のリオデジャネイロ五輪閉会式に当時の安倍首相が、任天堂のキャラクター、マリオの扮装(ふんそう)で登場した時だった。一般には好意的に受け取られたこのパフォーマンスだが、私の評価は否定的だった。 なぜならマリオというキャラクターのポジションは道化だと思ったからだ。道化は権威の横にはべり、普段は権力者をなごませ楽しませ、そして権威が間違えた時にぱっと無責任なおふざけという形で助言する存在である。安倍首相がマリオに扮すると、「日本は世界の道化役になりたいのだ」というメッセージを世界に発信することになってしまう。 マリオは道化にふさわしい人が演じるとして、そこにもう1つ日本の伝統を体現するキャラクターを持ってきてマリオとの絡みをつくり、そちらを安倍首相が演じるべきだろうと思ったのである。 新しい今の日本を代表するキャラクターがマリオだとして、能か、狂言か、歌舞伎か、あるいは神楽か――それらの演目の中から、一連の「マリオシリーズ」というゲームのコンテキストと合うものを選択し、その中からマリオにぶつけられるキャラクターを拾い上げ、マリオと絡め、しかもそれを、日本の伝統芸能を知らず日本語も通じない世界中の誰もが楽しめ、しかも日本に対する理解が深まるような形でプレゼンする――そのような演出のためには、深い教養と広範な知識が必要になる。 有職故実(ゆうそくこじつ)という言葉がある。辞書を引くと「古来よりの行事や法令・儀式・制度・官職・風俗・習慣の先例。また、それらを研究する学問」と出てくる。過去を完璧に踏まえた上で、新たな社会的儀式を執り行うのに必要な知識ということだ。 有職故実は、世界のどこでも権力にとっては必須の知識体系だった。なぜなら権力は過去との継続の中に正当性の根拠を求めるからだ。過去の例を新しい儀式でも使いこなすことが内に向けては権力基盤を確実にするし、外に向けてはその正当性と連続性をアピールすることになる。