富岡の影で「産業として最終段階」 日本の製糸業の現状は?
80度に熱せられた湯に浮かぶ繭から、かつて「女工さん」と呼ばれた女性たちが、魔法のような手さばきで糸を引き出していく。「男はダメ、昔っから。向かないんですよ。同じことの繰り返しに見えるけれど、扱う繭は毎日違うし、細かな工夫が必要な仕事です」。長野県岡谷市の『宮坂製糸所』の二代目、宮坂照彦社長は、その繊細な作業を自らはできないと笑う。 『宮坂製糸所』は、日本で唯一、今もこのような手作業で生糸を生産し続けている製糸所だ。こうした製糸所・製糸工場では蚕の繭から天然繊維(糸)を取り、それを何本かより合わせて生糸を作る。この生糸を精錬したものが絹だ。
今では7社が残るのみの製糸工場
農水省などの調べによれば、ピーク時の昭和34年には全国に1871社あった製糸工場は、今は7社が残るのみ。うち2社は世界遺産登録間近の旧富岡製糸場と同様の大規模な器械製糸を行っており、残る5社は『宮坂製糸所』を含む「国用製糸場」と呼ばれる小規模な製糸所だ。ちなみに、この呼び名は近代化間もない日本が生糸の輸出で栄えたかつての名残りで、国内向け(国用)の生糸はおもに手作業によって小規模な工場で作られていたことに由来する。 日本の絹産業は、生糸の原料となる蚕の繭を作る「養蚕農家」→「生糸を作る製糸業者」→「絹織物業者」という流れから、おもに着物や帯などに加工・縫製されて小売される形になっている。そして、そのいずれの段階もピーク時とは比較にならないほど縮小している。養蚕農家に至っては、ピーク時に221万戸(昭和4年)だったのが、平成24年には567戸にまで減っている。「和装離れ」で需要そのものが減っているのが原因の一つだ。 価格競争で中国などからの輸入品に押されているのも大きい。国産繭から生産された生糸のシェアは、最新の試算では0.7%に過ぎない。宮坂社長は、日本の絹産業全体が「産業としては最終段階にある」と寂しさを滲ませる。
「純国産」をアピールしてブランド化
もちろん、業界としてもただ手をこまねいて見ているわけではない。養蚕から絹製品の小売まで全体を束ねる業界団体『大日本蚕糸会』(本部・東京都千代田区)の廣瀬隆登さんは次のように話す。 「『和装文化』を守るのであれば、国内に繭生産がない状態は誰も望まないでしょう。私どもとしては、絹産業が『産業』としてしっかり存続していくことを目指したい」 現在、国の緊急対策事業として行われているのが、「純国産」をアピールしたブランド化だ。養蚕農家から織物業者まで、製品づくりに携わった全ての業者で提携グループを作り、グループで作った着物や帯などの製品に『純国産絹マーク』を表示するというものだ。平成19年度に予算化し、現在56の提携グループが動いているという。 『純国産絹マーク』がついている製品には、たとえば皇后陛下のご愛用品で有名な「小石丸」という品種の蚕から取れた絹糸を使ったものがある。繭が小さいため生産性は低いが、繊細な品質は外国産には決して出せない。和装以外の分野では、人工血管の材料として、最近品種改良された超極細の糸が注目されている。絹糸は細くて強いうえ、自然由来であるために人体との親和性が高いからだという。