なぜ獲ったの…。鹿島アントラーズ、謎すぎた歴代外国人選手6人。不発に終わった世界最高峰のFWも
1993年に開幕したJリーグでは、数多くの外国人選手がプレーしてきた。見事な活躍をしてクラブの目標達成や発展に貢献した助っ人がいるが、期待に応えられず、ほとんどピッチに立つことなく日本を去った選手も少なくない。今回は、鹿島アントラーズで活躍できなかった外国籍選手を6人紹介する。※成績は鹿島アントラーズ在籍時のもの。
FW:ベベット(元ブラジル代表) 生年月日:1964年2月16日 在籍期間:2000年~同年5月 Jリーグ成績:8試合1得点 ベベットは、Jリーグの助っ人の歴史でも期待と現実のギャップが最も大きかった選手の1人と言えるかもしれない。 ブラジル代表でロマーリオのパートナーを務め、1989年のコパ・アメリカ(南米選手権)で得点王となって優勝の原動力となったベベットは、デポルティボ・ラ・コルーニャに在籍していた1992/93シーズンにはスペイン1部リーグ得点王になるなど、世界屈指のFWと認知されていた。 そのベベットが2000年に鹿島にやってくることになり、Jリーグ中で大きな注目を集めたが、加入当時の年齢は36歳で、全盛期の輝きはなかった。シーズン序盤はコンスタントに起用されたものの1得点のみという結果で、1stステージの後半は出番を失い、シーズン途中に退団している。 1stステージを8位で終えた鹿島は、ベベットが去った2ndステージで優勝して、年間王者となっている。さらに、天皇杯とヤマザキナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ)でも優勝し、3冠の偉業を達成した。
DF:モーゼル(元ブラジル代表) 生年月日:1960年9月19日 在籍期間:1995年~96年 Jリーグ成績:17試合0得点 ブラジル人のモーゼルは、1981年にジーコとともにフラメンゴをコパ・リベルタドーレス初優勝に導いたセンターバックだ。トヨタカップ(現・FIFAクラブワールドカップ)でリバプールを下して、クラブ世界一にも輝き、ブラジル代表としても活躍している。 その後もモーゼルのキャリアは成功に包まれていた。ポルトガルのベンフィカでリーグ優勝2回、フランスのマルセイユではリーグ3連覇を達成している。ベンフィカとマルセイユで、それぞれ1回ずつチャンピオンズカップ(現UEFAチャンピオンズリーグ)準優勝を経験した。 それでも、年齢による衰えには勝てなかったのかもしれない。鹿島のテクニカルアドバイザーに就任したジーコに誘われる形で日本にやってきたモーゼルは加入時に34歳で、すぐに定位置を与えられたものの、パフォーマンスは期待されたほどではなかった。それだけではなく、1995シーズン2ndステージだけで3度の退場という不安定な一面も。翌1996シーズンの第8節・ジュビロ磐田戦でようやくシーズン初起用となったが、途中出場からわずか2分で退場となった。 鹿島は1996シーズンのJリーグで優勝し、1997シーズンも1stステージを制し、モーゼルは日本でもリーグタイトルを手にしたことになるが、チームの力になったとは言いがたかった。