野村克也が怒った「何しとるんや」門田博光との関係…170cmの無名選手が“歴代3位の本塁打数”を打つまで「飛んでくるな…」元同僚が語る“恐怖心”
昭和のパ・リーグには常識を超えた男が存在した。高校時代0本塁打の門田博光は身長170cmという小さな体で、プロ野球歴代3位の通算567本塁打を放った。その理由とは――。ロッテの主力として対戦し、ダイエーで2年間ともにプレーした水上善雄が“孤高のバットマン”の謎を解き明かす。※敬称略。名称や肩書きなどは当時 【鳥肌写真】「40歳で44本…えっ、CG画像じゃないの?」門田の実際のスイング“速すぎて写真がブレた”1枚。涙が出る野村克也との再会に、渋カッコいいNumber表紙、落合・村田・清原ら昭和名選手のレアな姿まで一気に見る(30枚超) ◆◆◆ 「門田さんから『ホームランの打ち損ないがヒットなんよ』と聞きました。本気で、全打席スタンドに放り込もうとしていた」 試合を一瞬にして止めるホームランの魅力に取り憑かれた門田博光は、徹底的に自らの技術を追求した。それは同時に、常識を疑う作業でもあった。昔も今も、小柄な選手はホームラン打者になれないと考えられる。実際、通算300本塁打を放った45人の平均身長は180.1cm(日本野球機構オフィシャルサイトを参照して作成)。その中で、門田は最も低い170cmである。水上はこう実感している。 「私のイメージとしては、(163cmの)弘田澄男さんとさほど変わらなかった。あくまで印象ですけどね。アストロズのホセ・アルトゥーベが168cmで30本打っていますけど、門田さんは50年も前に努力で飛距離を伸ばせると証明していたんですよね」
元同僚が見た門田“衝撃の練習”
打球を遠くに飛ばすため、門田はスイングスピードにこだわった。そのために“常識外の方法”を取った。水上はダイエー移籍の1991年、春季キャンプでパワーの源を知った。 「トレーニング場で、数人の若手に『上半身のウエイトをやっておきなさい』と説いていました。当時、ウエイトに否定的な見方が多く、本格的に取り組んでいる選手は少なかった。でも、門田さんはその場でバーベルを楽々と持ち上げていました。当時、43歳ですよ。私も、ロッテで一軍に定着する前にリー兄弟に勧められて10年以上ウエイトをしていましたけど、全く敵いませんでした」 低身長に加え、天理高時代0本塁打。それでも、ホームラン打者を目指した“球道者”は、社会人時代の1960年代後半からウエイトを取り入れていた。「筋肉を硬くする」という通説に疑問を抱き、日々の鍛錬を怠らなかったからこそ、“不惑”の40歳を超えても若手や中堅を圧倒する筋力を兼ね備えていた。 「ティー打撃で、硬式球の2倍くらいの重いボールを打っていたのも独特でした。一方で、外野を1人で黙々と走り込む姿も毎日のように見ました。昔からの練習も大切にして、上半身と下半身をバランスよく鍛えていたのだと思います」
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