63年前にシード獲得、立教大OB山口巌雄・元厚木市長「耐えるからこそ成長」…後輩にエール
第101回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝=読売新聞社共催)が2、3日に行われる。前々回は55年ぶりの本大会出場で総合18位、前回は14位とステップアップした立教大は、10位以内での1962年以来のシード権獲得を狙う。63年前にシードを獲得した際のメンバーである神奈川県厚木市の元市長・山口巌雄さん(82)に当時を振り返ってもらった。 【一覧】箱根駅伝2025 全チームの区間エントリー選手
少年時代から駆けっこが得意で、中学時代には当時のトップアスリートに「走り方が非常に経済的」と褒められて本格的に長距離に取り組んだ。県立厚木高では陸上部で活躍した。「高校の部活では1番。神奈川県でも長距離なら10番目くらいだったのかな。でもそのレベルの選手ですよ。当然、大学に入った頃は尻の方。箱根を走れるなんて思ってもみなかった」と振り返る。
文武両道
立教大は文武両道意識の強いチームだったという。朝6時に起きて2時間かけて通学。講義をしっかり受けてからグラウンドに向かった。「『学生の本分は学業。スポーツの中に学業があるんでなく、学業の中にスポーツがある。幹を忘れちゃいけない』なんて言われてね」。マネジャーが講義に出ているかチェックしにくることもあり、サボるのは厳禁。忙しい日々の中、1日4食で体をつくった。
合宿では布団の上げ下ろしから、グラウンド整備まで1年生の仕事。「朝も散歩と言いながら、もう練習なんですよ。フウフウ言って帰ってくると食事の準備。練習も1番最前列でやるから手を抜けないんですよ。夜は先輩のマッサージ。あれはつらかったね」と笑う。そんな日々でも、「目的意識だけは忘れず、歯を食いしばって力をつけていったのかな」と回想する。
骨が痛んでないなら走れ
迎えた1962年の本大会。実は脚が痛くて先輩に相談したと言う。「『ここで駅伝を走れなかったら、もう二度とチャンスがないかもしれない。骨が痛んでないなら、走り出す頃には忘れちゃうよ』と言われたんです」。中継所までは脚を引きずっていったが、アドレナリンのおかげか痛みは消えていた。「意外に走れちゃったんですよ」。8区を順調に走り出した。