南果歩「読み聞かせは大人にも必要」東日本大震災の被災地でボランティア活動を行う理由 #知り続ける
「気持ちだけ寄り添うだけでもいい」震災を風化させないためにできること
――南さんは現在も被災地に足を運ぶことはあるのでしょうか? 南果歩: はい。先日福島に行きましたが、手つかずのまま廃虚が残されていたんです。まだまだどうしていいのか分からない状況が続いているという実感を持ちましたし、同時に自分の非力さも感じました。 やはり現地に行くと、映像では感じ得ないことが多いです。皮膚感覚として入ってくるし、地元の方とお話しして生の声を知ってその場に立つってすごく大事だなと思いますね。 ――現地に行くことで初めて気づくことがあるということですね。 南果歩: 私が何かをしてあげているという感覚ではなく、逆にその場所に行くといろんなことを教えてもらっている感じです。そこに生きている人たちの強さや覚悟を目の当たりにすると、ものすごく心が動くし、教えられることばかり。 東京にいると「東京が日本」だと錯覚してしまう。でも、日本はもっと広くていろんな文化があって、方言や食文化も違うし家族関係も違う。「自分が住んでいるところが世界のすべてだ」と思うことが、一番危険ではないでしょうか。 ――震災を風化させないためにはどうすべきだと思いますか? 南果歩: 関わっていくことしかないと思います。離れた場所で暮らしていて、1年に1回、3月が近づいたときに被災地の映像がニュースで流れるだけだと、また遠のいていくというか。だから、自分がどうやって関わっていくかを自分で見つけることが必要だと思います。関心を持っていれば、おのずとその情報は入ってきます。震災を風化させないためには関わり続けていくしかありません。もちろん自分のできる範囲で大丈夫。アンテナを張るのは自分次第です。
被災者に寄り添い、彼らの変化を見守る証人になりたいと思う理由
南果歩さんが読み聞かせの活動を行うように、被災者と交流を続けることについて臨床心理士の西前律子さんに聞いた。西前さんは国境なき医師団の一人として震災発生10日後に被災地に入り、それ以来、宮城県南三陸町でボランティアとして被災者と関わり、現在も心のケアを続けている。 ――西前さんはどのように被災地と関わっていたのでしょうか。 西前律子: 震災直後に現地に入り、避難所での心理ケアの必要性、ニーズの状況把握・分析を行いました。コロナ禍になってからは行くのは控えて電話での関わりですが、個人の心理支援ボランティア活動として1年に数回、被災地に通っていました。そこでは、私が普段仕事で行っている心理治療やカウンセリングの枠を少し外して、おしゃべりしてもらうような時間をつくって、普段町の人に話せないことを安全感と安心感を感じながら吐露する場と時間を提供することを心がけていました。お話しされる方が抱えている問題やポイントを整理して、それをどういうふうに乗り越えるか、どうやったら自分を大事にできるかどうかなど、自分なりの方向性を見出せるようにお話しして、帰るときは気持ちが楽になれるような時間を持っていただきました。 ――被災者の皆さんと関わり続けることで、西前さん自身が何か気づいたことはありますか。 西前律子: 現地に入ったときから私が大事にしたスタンスは、被災者の方に敬意と関心を持ち続けるということです。自分が彼らの変化を見守る証人になろうという思いです。 ただ、東京と被災地を行き来していると「いったい私は何ができるんだろう」「私は何をやっているんだろう」「もしかしたら自己満足じゃないか」と思ったこともありました。それが年月が経つと、被災地とつながること、関わることだけでもいいんじゃないかという思いになってきたんです。通ううちに第二の故郷のような感覚になってきて、被災地の方とお会いするのが楽しみになってきました。 ボランティアする側と受ける側ではなく、本当に人と人のつながりなんだという目線が試されるのだなと感じましたね。南果歩さんの読み聞かせの活動は、現地の皆さんとつながることができるとても意味のある活動ですね。