「セガ」と「サミー」の経営統合の裏に、若い2代目の苦労 異なる社風に飛び込み、セガのスマホゲーム領域を開拓
◆父親の治氏は、息子の転身をどう思ったのか
サミーを1代で築き上げた先代社長の里見治氏は、「息子が『お父さん、俺もサミーに入るよ』って言ったときは、後を継ぐ気が起きてきたんだなと思い、正直言って嬉しくはあったんですよね。 『嬉しい』とはあいつに言わなかったけどね」と振り返る。 そして、「サミーに入るんだったら、将来会社を承継するために、会社全体をきちっと掌握できるよう様々なポジションを経験させたほうがいいなと思いました」。 先代社長は承継を見据えていた。 実際に、里見氏は「サミー」から「セガ」にすぐ異動する。 ----まず入社したサミーはどのような会社でしたか サミーは、まさに父親が作った会社で、右向けって言ったら全員が右向く。 私が後継者だろうと思って良い意味も悪い意味も含めて気を遣ってくれる文化でした。 でも、私はサミーに1年いた後、すぐセガに異動したんです。 ----セガはどのような会社でしたか 本当お手並み拝見って感じでした。 2世のちやほや感もまったくなく、サミーの社員が見たら「なんであんな気遣わないの?」とびっくりするぐらいの感じです。 私は逆にありがたかったですね。 その後、セガも1年弱しか在籍せず、セガのアメリカ拠点に異動になりましたが、非常にいい経験でした。
◆気を遣われない環境で立ち上げた新規事業の失敗と成功
----里見さんは2012年、セガサミーグループの「セガネットワークス」の代表取締役社長CEOに就任していますが、どのような会社でしょうか? スマートフォンゲームに特化したゲーム会社を新規で立ち上げました。 社内ベンチャーですね。 当時、セガの社員はソーシャルゲームを重要視していなかったんです。 「あんなのはゲームじゃない」と。 だから、「うちが(ソーシャルゲームを)やるぞ」と言っても、セガの社員は「やりたくない」と反発しました。 ----セガというと、どうしてもゲームセンターやセガサターンなどのイメージですね。 そこで、「スマホもどんどん性能が上がるから面白いゲーム作れるようになるよ」と開発者を説得して分社化しました。 しかし、1年目は計画未達の大赤字だったんです。 社内は、「ほら見たことか」みたいな雰囲気でしたが、全社員を集めた会で私が「計画未達の大赤字で申し訳ない。でも、やっていることは間違ってないんで、広げた風呂敷はたたみません」と宣言して、全員に転籍をしてもらいました。 ---出向中の社員を、子会社に転籍させたのですか? そうです。 1年目が大赤字の計画未達で、やっぱり背水の陣で腰を据えないと反転しないと思っていました。 もちろん当時の役員はみんな反対しました。 「そんなことしたらみんな辞めちゃう、家庭の事情もある」と。 「赤字の会社にはローンが下りない」「俺はセガに入ったんだ。子会社じゃない」とか社員の反発もありました。 それでも「いや、みんなで同じ船に乗らないとだめだ」と言って、最終的には大半の方に転籍に合意していただきました。 そして2年目にヒット作が出てJカーブを描いて黒字化していきました。 ----セガネットワークスを大きな事業に育てた実績で、社内の雰囲気は変わりましたか。 「お手並み拝見」だった雰囲気がガラッと変わりました。 セガネットワークスを立ち上げた当初は、私が毎月スピーチしても、全然シーンとしていたんですよ。 でも、ヒット作が出て「単月黒字化しました」と言った瞬間、ドバッと拍手が出ました。 会社が変わり、本当に打てば響く組織になったと感じました。