親父が生きていたら一緒に酒を飲みたかった…ヘビースモーカーで本好きの父の面影を銀シャリ橋本が語る
親父はアメリカンフットボールのことを「アメラグ」と言っていた。「アメリカのラグビー」という意味で、おそらく昔の人の言い方だろう。そんな「アメラグ」が親父は大好きだった。 敢えてここではアメラグと書かせてもらうが、当時ファミコンにアメラグのソフトがあってそれを友達から借りてきたことがあった。妹とハマってそのゲームをしばらくやっていたが、普段ファミコンには興味を示さない親父がアメラグのソフトということで珍しく「ちょっと一緒にやらしてくれ」とお願いしてきた。 僕と親父で対戦することになったのだが、親父は基本、パスプレー中心。パスは多くの距離を稼げるから、一気に得点のチャンスになる。とはいっても、実際の試合とゲームとでは違う。ファミコンのこのゲームにおいては、なかなかパスが通らない。それを知っている僕はラン攻撃中心に攻め立てる。とにかく選手を走らせるのだ。結果は僕の圧勝。2試合くらいはしたと思うが、2戦とも僕の勝利だった。親父はゆっくりと自分の部屋へ帰って行った。 後日おかんに聞くと親父はかなり怒っていたらしい。「え! なんか怒られるようなことした?」と思って聞いたら、「直(僕の下の名前)が、ラン攻撃ばっかり使ってきてズルいやろ」と怒っていたらしい。いや、その怒り方、逆やろ! 子供が大人にキレる時のやつやん。怒っているというよりは、拗ねていたなとおかんも言っていた。 こうやって思い出していくと、時代のせいもあったかもしれないが、親父は、なかなかキャラが強かったんだなと改めて思う。そして同時に考えるのは、もし親父が生きていたら、僕はお笑い芸人になれていなかったかもしれない、ということだ。 親父は昔気質(むかしかたぎ)の性格な上、仕事に真面目な銀行員だったので、お笑い芸人なんてとんでもない、ちゃんと就職しろとおそらく言われていただろう。親父の娯楽は本と映画で、エンタメの中でお笑いはごっそり抜け落ちている感じだった。 ただ、本棚に落語の本が何冊か入っていて、枝雀師匠のカセットテープが置かれていたことはよく覚えている。どうやら落語は好きだったみたいだ。 だから、反対はされたかもしれないし、もしかしたら勘当されるくらいに怒られたかもしれないけれど、僕ら銀シャリがM-1グランプリで優勝した時もし親父が生きていたら、おそらく、「あれ俺の息子やねん、すごいやろ!」と、会社の人に自慢しまくったであろう光景が、なぜだか鮮明に、くっきりと目に浮かぶのだ。不思議だ。 でもすべてはタラレバの話で、「親父がまだ生きていた世界線」がどうだったかは、今もこの先もわからない。 僕としては、今の僕らの漫才について、あれだけ本を読んでいた親父の感想や考察を、酒を酌み交わしながら聞いてみたい気もする。 そして今、僕は本がめちゃくちゃ好きになっている。今こそあの「本やったら、なんぼでも買っていいぞ」のサブスクに加入したいものだ。 あと2年で僕も46歳になる。 (銀シャリ橋本直さんのエッセイの連載は毎月第3金曜日にブックバンで公開。橋本さんの“ツッコミ中毒”な日々が綴られます) *** 橋本直(はしもと・なお) 1980年生まれ。兵庫県出身。関西学院大学経済学部を卒業後、2005年に鰻和弘とお笑いコンビ「銀シャリ」を結成し、2016年に「M-1グランプリ」で優勝。現在はテレビやラジオ、劇場を中心に活躍し、幅広い世代から人気を得ている。 Book Bang編集部 新潮社
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