親父が生きていたら一緒に酒を飲みたかった…ヘビースモーカーで本好きの父の面影を銀シャリ橋本が語る
人気お笑いコンビ・銀シャリ橋本直さんが文芸誌「波」で綴るのは、どうしてもツッコまずにはいられない、そんな“ツッコミ中毒”な日々。第16回のテーマは「親父のこと」です。相方・鰻和弘さんの4コマ漫画もあわせてお楽しみください *** うちの親父は46歳で亡くなっている。僕が高校一年生の時だった。親父はえげつないくらいに本が好きだった。 僕が子供の頃に住んでいた家は、小さな一軒家だった。2階にある親父の部屋は仕事机とベッド以外は、四方八方を本棚で囲まれていた。テトリスなら全部が綺麗に消えるくらいの見事なハマり具合で、その本棚には本がびっちり詰め込まれていた。そして仕事が休みの日にはベッドで寝転びながら本を一日中読んでいるような人だった。 挙げ句の果てに、僕が小学校の高学年になる頃には、玄関から台所に向かうそれはそれは短い廊下にも、いつの間にか天井ぎりぎりの高さの本棚が4台連なった。廊下の幅が半分になってしまった。それくらい本で溢れていた。 ある日、親父は僕に「本やったら、なんぼでも買っていいぞ」と言い放った。酒に酔ってご機嫌でついつい気持ちが大きくなって言ってしまっただけかと思いきや、橋本家の新ルールとして翌日から正式に採用された。 今思えば最高の、なんとも贅沢なサブスクを手に入れていたにもかかわらず、当時の僕は本には全く興味がなかった。漫画は大好きだったのだが、このサブスクには「ただし、漫画は本とみなさない」という注意書きが堂々と記載されていたので、あえなく撃沈した。「宝の持ち腐れ」ということわざを、これで学んだ。
親父のことを考えるとすぐに思い出すのは、お正月に黒紋付に袴を穿く姿だ。その雰囲気というか情緒が僕は好きだった。人混みで誰かとぶつかってしまった際、「失敬」と言うような人でもあった。最初に聞いた時は衝撃で、「失敬て! 堅すぎるやろ、昔のドラマとかでしか聞いたことないぞ」と、子供心に強く思った。 幼稚園くらいの頃、遊園地で親父と一緒にメリーゴーランドに乗っている写真がある。おそらく撮影者であるおかんの方を、「カメラこっちやで~」と僕に教えるように指差している一枚。その写真の親父はティアドロップのごっついサングラスをかけていた。『トップガン』の戦闘機から、「宝塚ファミリーランド」の馬に乗り換えた、ちっちゃいトム・クルーズがそこにいた。 チェックのシャツをジーパンにインする服装を好んだ親父は、吉本の先輩芸人なだぎ武さんがモノマネするディラン・マッケイが乗っているような自転車を愛用していた。その自転車には、後輪側の右サイドに折りたたみ式のカゴが装備されていた。折りたたみサイドバスケットという名前らしい。前カゴが付いた自転車しか見たことがなかった僕は、なかなかのカルチャーショックを受けた。紋付き袴同様、その親父の自転車は格好いいと密かに思っていた。 親父がたまにそれに乗ってふらっと出かけては帰ってくると、往路には折り畳まれていたはずのカゴが復路では広げられ、そのなかには本が何冊も入れられていたものだった。 親父の一人での移動はもっぱら自転車で、なぜなら親父はあの当時の男性にしては珍しく車の免許を持っていなかったからだ。うちではいつも、おかんが運転していた。 なぜ親父は運転しないのか、そのことを昔おかんに尋ねたことがある。「あ~お父さんね、免許を取りに行こうとしたことはあるんやけど、実車教習で教官と喧嘩して途中で降りて帰ってきたらしいねん」。嘘やろ? まさかすぎるやろ!? でも不思議と親父らしくもあって、思わず笑ってしまった。 親父は普段からよく怒っていた。そしてかなりのせっかちだった。 コーヒーが大好きだった親父は、僕をよく喫茶店に連れていってくれた。一度、注文したコーヒーがなかなか来ない時があった。僕の感覚ではそれでも「少し遅いかな」というくらい。だが、親父はノーモーションでキレた。「注文したコーヒーって通ってます?」という助走部分はなく、いきなり「遅すぎるやろ!!!」と。「いやいや、そんなに怒ったところでコーヒー来るの早ならへんし、気まずくなるだけやがな」と、子供ながらに僕は冷静だった。火に油を注ぐことになるから、もちろん口には出さない。『ちびまる子ちゃん』の口グセ「あたしゃ勘弁だよ」よろしく、心の中で俯瞰しながら親父にツッコミまくっていたのが多分僕の原点で、ツッコミの英才教育を知らぬ間に受けていたのか。 その後も親父がお店の人にキレているところを何回も見るハメになった。僕はそれがすごく嫌で、親父を反面教師に、絶対にこんなにすぐ怒る人にはならないでおこうと心に誓った。なので、僕は人に怒ることができない。どれだけ理不尽なことがあっても怒れない体になってしまった。ストレスがたまる。 反面教師と言えば、親父はかなりのヘビースモーカーだった。ハイライトをよく吸っていた。おかんが運転する車の助手席で、居間のテーブルで、喫茶店で、本を読みながらベッドで……。おいしそうに、でも少しも笑わずに、吸っていた。あまりによく吸っていたからか、慣れるよりもむしろ、おかんも妹も僕も、家族全員がずっと、タバコの匂いが苦手だった。成人しても、僕も妹も一切タバコを吸わなかった。 でも妹は働き出してから少し吸っていた時期があるとおかんに聞いたことがある。おいおい、あれだけみんなで煙たがってたやないか、なに裏切ってくれてんねんと思った記憶がある。