クジラやイルカを解剖し続け2000体、海獣学者が受け取る亡き骸からのメッセージ
獣医学部の学生時代、付き合っていた彼の帰りを待って、彼の家の前の階段に座り込まなければ、田島さんは別の研究をしていたかもしれない。 「この話は初めてするんですけどね」とはにかむ。携帯電話も携帯ゲームもない時代、階段に座って自分の鞄に手を突っ込むと、一冊の本が手に触れた。数日前になんとなく図書館で借りた動物写真家・水口博也氏の著書『オルカ 海の王シャチと風の物語』だった。水口氏が撮影のためカナダ・ジョンストン海峡にキャンプして、そこにいるシャチと自然風景をみずみずしい筆致で描いたドキュメンタリーである。本を開いてたちまち田島さんは「やっべえ、これすごく面白い」とこの世界に引きずり込まれた。 「シャチは英語で『キラー・ホエール(殺し屋クジラ)』といわれる恐ろしいイメージだったのですが、実際はみんなで子どもを育てたり、親戚同士で仲良く暮らしていたり、我々と同じなんだというのが一番の衝撃でした。『キラー・ホエール』っていう怖い名前と愛情あふれる生き方のギャップが良かったのかな」 読むだけでなく実際にカナダまで飛んで、シャチを自分の目で見た。さらなる感動に揺さぶられて、田島さんは海の哺乳類の研究者になることを決意する。 「もし彼が部屋にいたら、この本を借りていなかったら、借りてもそのとき持っていなかったら。いろんな運命が重なって私はいまこの研究をしています」
大学では動物の病気がどう発生するのかを学ぶのが楽しかった。カナダの体験で「海の哺乳類の病気に関して研究したい」とはっきり目標ができ、帰国後に国内のそれらしき研究室に片っ端から30通ほど問い合わせの手紙を送った。それから紆余曲折があり、多くの挫折を経て、田島さんは「山田先生に拾われた」という。国立科学博物館で田島さんが所属する研究グループのグループ長だった山田格(ただす)さん(71)である。
ガッと突き進む「情熱」と「気遣い」の人
山田さんは田島さんを誘った理由について、「ストランディングで、なぜイルカやクジラが死ぬのか、原因を見つけてくれる病理屋さんを探していたんです」という。 病理とは病気の原因・過程に関する理論で、解剖学者の山田さんはその研究者を探していた。