「美しい」って何だろう?ふだんなんとなく感じているけど深く考えたことのない「美」の正体
明治維新以降、日本の哲学者たちは悩み続けてきた。「言葉」や「身体」、「自然」、「社会・国家」とは何かを考え続けてきた。そんな先人たちの知的格闘の延長線上に、今日の私たちは立っている。『日本哲学入門』では、日本人が何を考えてきたのか、その本質を紹介している。 【画像】日本でもっとも有名な哲学者がたどり着いた「圧巻の視点」 ※本記事は藤田正勝『日本哲学入門』から抜粋、編集したものです。
「美しい」ってなんですか?
哲学はさまざまな問題を取りあげる。そのテーマをひとまとめにして「真善美」と言われることもある。どれも重要なテーマであるが、そのうちで私たちにとってもっとも身近なのは、やはりなんと言っても「美」であろう。真理とは何かという問題は、長年の研究なしにはすぐには答えられないし、また善の実現は容易ではなく、どこかかなたにあるものという印象が強い。それに対して、美的な感動というのは、どんな人でも経験する。美しく咲き誇る桜の花を前にすれば、万人誰しもその美しさに惹かれ、見とれてしまうであろう。 そしてそういう経験は、私たちに、心のなかで感じているだけでなく、それを表現し、人に伝えるように迫ってくる。そういう力を美はもっていると言ってもよい。そこに芸術が生まれたと言ってもよいのではないだろうか。 このように美にせよ芸術にせよ身近なものであるが、しかし、あらためて「美とは何か」とか「芸術とは何か」ということを考えると、これはこれでなかなか難しい問いである。美は見られるもの、つまり見られる対象のなかにあるのか、見る私たちの側にあるのか、というのも簡単に答えられない問いであるし、美はただ直観されるのか、それとも私たちの思惟のはたらきもそこに関与しているのかというのも難しい問いである。 この「美とは何か」という問題を論じる学問を「美学」と呼ぶが、明治時代にそれに接して以降、人々はそれをどのように受けとめてきたのか、また人々は何に美を見いだしてきたのか、そういうことを本講で見てみることにしたい。