「美しい」って何だろう?ふだんなんとなく感じているけど深く考えたことのない「美」の正体
翻訳に四苦八苦
日本で最初に美学という学問を紹介したのは西周であった。「美妙学説」と題した論文(ここではこのタイトルの通り、美学は「美妙学」と訳されている。執筆年は定かでないが、一八七七年頃と推定される)において西ははじめてまとまった形でこの学問について論じている。とはいえ、「紹介した」と言ってしまうと言いすぎになるかもしれない。というのもこの論考は草稿の形で残されていたものであり、昭和に入ってはじめて知られるようになったものであるからである。ただ、第1講・第2講で触れた「百学連環」の講義のなかでも美学(ここでは「佳趣論」という訳語が用いられている)に言及し、美について「美とは外形に具足して欠くるところなきをいうなり(*2)」と定義している。 「美妙学説」のなかでは西はこの学問についてまず、「哲学の一種に美妙学と云あり、是所謂美術と相通じて其元理を窮むる者なり」と述べている。そしてその「元理」、つまり美を成り立たしめる基本的な要素に、物自身が具えている美(美麗)と、その感受を助ける人間の想像力とがあると記している。美はその客観的な要素と主観的な要素によって支えられているというのが西の理解であったと言える。 西の「美」についての理解の特徴は、人間の美醜を感得する力を、善悪を判断する道徳的な能力、正邪を判断する法的な能力と深く関わりあったものとしてとらえている点、そしてその連携によって「人間の世間〔世界〕を高上なる域に進める」ことが可能になると考えている点にある(後者の点については、あとでもう一度触れる)。 美あるいは芸術に関する学問を最初に Ästhetik(aesthetics)と名づけたのは、ドイツの哲学者バウムガルテン(Alexander Gottlieb Baumgarten, 1714-1762)であった。バウムガルテンが美学という学問を名づけるにあたって、このように、もともと感性的な知覚を意味するアイステーシス()というギリシア語を用いたのは、美という価値は、推論や論証によってではなく、直接的に、あるいは直感的に把握されるという考えがあったからだと思われる。 明治のはじめに、それに接したとき、どう翻訳するのかはたいへん難しい問題であったと考えられる。実際、さまざまな訳が試みられている。西はいま挙げた論考では「美妙学」と、またいまも述べたように『百学連環』では「佳趣論」と訳している。「善美学」という訳語も用いている。 さらに連載記事〈日本でもっとも有名な哲学者はどんな答えに辿りついたのか…私たちの価値観を揺るがす「圧巻の視点」〉では、日本哲学のことをより深く知るための重要ポイントを紹介しています。
藤田 正勝