「普通においしい」は褒め言葉なのか…外国人には伝わりにくい「曖昧な日本語」の味わい深さ
■真っ向勝負を避ける平和主義の日本人 【ふかわ】曖昧グループには「~的には」というのもありますね。「私的には」とか。「私は」でいいはずなのに、「的には」をつけて、ちょっとぼやかす。あと「あちらのほうで~」という「ほう」。これもちょいちょい薄めて、希釈の役割を務めている。日本人は割るのが上手ですよね。バーテンダー並の割り上手。 【川添】ロックでは勝負しない感じですか(笑)。 【ふかわ】そう! まさに、真っ向勝負を避けている気がします! 戦いたくないんですよ。よく言えば、平和主義。これも国民性ですかね。 【川添】ぼやかす機能をもった言葉には「とか」なんかもありますね。コーヒーを飲むと決めているのに、「コーヒーとか飲む」と言ったり。東京にしか行っていないのに、「東京とか行ってきた」と言ったり。 【ふかわ】接客関係で耳にしがちだから、こういう言葉がなんとなく丁寧に聞こえたり、肌触りが優しい印象になったりすることすらあるんですけど。本来、そういう役目はないですよね? ぼやかすことによって、圧を弱めようとしているんでしょうか? 【川添】そうですね、これも目上の人の前で自分の意見を堂々と言うことが憚(はばか)られた時代の名残のような気がします。 【ふかわ】どこかで薄めたがる習性が残ってしまっているんですね。 【川添】そうなんでしょうね。 ■お金の話をオブラートに包む「ギャラ感」 【ふかわ】ついさっきなんですけど、誰かのマネジャーが電話で話しているのが聞こえてきて。そのなかで、私の網に引っかかった表現がありまして。 【川添】どういった表現だったんですか? 【ふかわ】「それでギャラ感なんですけど」(笑) 【川添】ギャラ感!(笑) 【ふかわ】もう、早く報告したかったです。 【川添】いいのが釣れましたね。 【ふかわ】ピチピチしてました(笑)。「~感」。「透け感」とかっていうのも時々耳にしますが。「ギャラ感」って。誰が言い出したのかわからないですけど、おそらく最近ですよね。「ギャラはどうでしょうか?」と言うのは、たとえ芸能プロダクションのマネジャーでも憚られるんでしょうか。オブラートとしての「感」。きっと響きもいいんでしょうね。 【川添】たしかに、響きの面でも、「ギャラ感」は新しいですね。