日本がアメリカに結ばされていた「核持ち込みに関する密約」…「密約」は明確に存在していた
外務省には「過去の歴史の共有がない」
戦後の外務省最大のスターである東郷に対してこういう表現をすると、気分を害する人もいるかもしれません。 けれどもひとつはっきりと言えるのは、この日本を代表する外務官僚が書いた、しかも40年間も北米局の金庫に隠されていた究極の「極秘文書」をめぐる歴史のなかに、日本の外務省ひいては霞が関全体の欠点と、冷戦の終結後、なぜ日本という国がこれほどまでに進路を見失い凋落しつづけているかの原因が、凝縮されているということです。 これは複数の外務官僚の方たちから聞いた話ですが、外務省には日米安保や北朝鮮問題といった重要な機密については、「次官、局長、担当課長」の三人だけが知っていればいいという伝統があるそうです。 しかしその伝統には、非常に重大な欠陥がある。当然の結果として、外務省内での情 報の共有がまったく行われていないというのです。 とくに深刻なのは、過去の歴史的事実の共有がないということ。省内の重要なポストはどれもほぼ2年で交代するため、そのポストにいるときだけは最高の情報が集まる。 しかし、ほかの時期のことはわからない。局長や次官といえどもそれは同じで、自分がそのポストにいないときの知識は、基本的に持っていないというのです。 そもそも村田元次官でさえ、引き継ぎ文書に関して「1枚紙にその趣旨が書かれていた」(→『知ってはいけない2』52ページ)と述べており、この全8ページの「東郷メモ」ではない、なにか別の「まとめのメモ」を見て首相や大臣に説明していたことがわかります。 北米局長や条約局長を経由せず、経済局長から次官になった村田氏に対し、「東郷メモ」を管理していた有馬北米局長がその内容をどこまで説明していたかさえ不明なのです。
矢部 宏治