「初の独自エンジンです」100年前に開発された、実に日本らし~い用途 ひしゃくで水ジョボォ~!?
国産初エンジンはなんと大正生まれ
近代日本の発展は産業技術や科学技術の成長によるところが大きく、そこから「技術立国」と表現されることがあります。そのような我が国の歩みを示すかのような工業製品が、2024年5月下旬に開催された建設・測量業界向けのイベントに展示されていました。 【100年の時を超えて】これが国産初と最新エンジンの並びです(写真) 場所は千葉県の幕張メッセで開催されていた「CSPI-EXPO 2024」。出展したのは、産業用エンジンの販売を行っている株式会社クボタエンジンジャパンです。親会社であるクボタが100年以上前に誕生した初の国産エンジンであり、近代化産業遺産にも認定された「石油発動機A型」が展示されていました。 このエンジンが製造されたのは1922(大正11)年のこと。本体周辺にはマフラーやスパークプラグ、ガラス製オイル入れなどが剥き出しで取り付けられています。3馬力の石油式発動機が生み出した動力は、フライホイールで外部に伝達されます。冷却は水冷式ですが、そのための水はエンジン上部の開口部から桶や柄杓(ひしゃく)で注いだそうで、その作業の様子を連想すると、なんとも日本らしい工業製品だと言えるでしょう。 エンジンというと真っ先に連想するのは自動車やオートバイの動力源ですが、この「石油発動機A型」は農作業用で、生み出される動力は米の脱穀や籾摺(もみすり)や、田んぼの水をくみ上げる揚水などに使われたそうです。
当時の戦後不況と飢饉が普及の追い風に
明治~昭和初期の農作業というと、その多くが人力で行われていたように想像するかもしれませんが、大正時代の1915(大正4)年にはアメリカ製の発動機(汎用エンジン)が輸入されており、農業における機械化もこの頃から始まっていたといいます。 クボタが「石油発動機A型」を製作したのも、農業の現場において発動機の需要が一定数あったからで、開発のきっかけも発動機を海外から輸入している商店からの提案だったそうです。 その頃のクボタは水道用鉄管の製造による高い鋳造技術をもっており、その技術を活用して「石油発動機A型」は製造されました。 当時の日本は第一次世界大戦後の経済的な不況に加え、西日本が大干ばつに襲われた時期であったため、国内情勢は混沌としていたとか。しかし、その逆境ともいえる国内情勢が、農業の生産効率を上げるきっかけとなり、この石油発動機が需要を広げていく追い風にもなったといいます。 1923(大正12)年には、改良型である「石油発動機B型」や、「農工用発動機A型3馬力」も発売。国産品は海外製よりも低騒音で使い勝手のよいサイズで作られているため、その後も順調に販売を拡大していきます。 1927(昭和2)年にはドイツのボッシュ社製マグネト(マグネト―とも。点火用の小型発電機)と点火プラグを使用した漁船用エンジンを開発し、農業用発動機以外の分野にも進出したとのこと。これらを鑑みると、現在のクボタのエンジン製造の技術的な素養はこの頃にできあがったといえるでしょう。