保育士から27歳でお菓子の道へ! 子どもがいても働き続けられる店づくり「KUNON Baking Factory」久野綾乃さん(前編)【女性パティシエの履歴書vol.1】
未経験からパティスリー、そして独立へ
その後久野さんは、未経験からパティスリーでアルバイトとして働きつつ、製菓学校への通学もスタート。一体、そこにはどんな思いが? 「“自分も何かを生み出せる人になりたい“という漠然とした思いを深掘りして、自分が得意でかつ勝負できることは何かを考えました。仕事をこなしながら、勤務後の時間や休みの日を使い突き詰めた結果、純粋に焼き菓子をつくることが好きだという気持ちと、児童福祉で感じた“食は心を満たす”という思いが頭をよぎったんです。そこから少しずつ勉強を始め、未経験でも雇ってもらえるパティスリーを必死に探して。その結果、運良く『焼き場(※3)を担当したい』というお願いを承諾してもらえるパティスリーが見つかり、2年間の予定だったロッキング・オンの契約社員を1年半で退職してその店に入りました。※3)焼き場:クッキーやサブレ、スポンジ生地などを焼き上げる部門
学生とパティシエを両立した1年間
製菓学校時代その後、日中はパティスリーで働きながら夜は工房の資金のためのアルバイト、週末は社会人向けの製菓学校に通う睡眠時間3時間の1年間が始まりました。パティスリーでは1日8時間、少なくとも週4日は働いていたので、なかなか試作する時間が取れませんでしたが…。『今日は生地の状態が不安定だったな』や『なんでこの焼き色になるんだろう? 』など仕事中に疑問点がたくさん生まれ、その都度学校で解消しました。周りの人たちは皆先輩でしたが優しく、楽しく仕事をさせてもらいましたね。入ってすぐに焼く作業を見せてもらって補助作業をするのも、ほかのパティスリーでは経験できなかったと思います。引っ越しの都合で1年間しかいられませんでしたが、とても良い環境で感謝しかありません」
卸の仕事から始めたお店。働きすぎで帯状疱疹も
久野さんは、旦那さんの実家の建て替えをきっかけに南砂町に引っ越すことに。その際に、お店を持つチャンスが訪れます。「実家の建て替えをする際、すでに決まっていた焼き菓子の卸の仕事のため、1階に菓子製造スペースを作ることに。その時点ではここで販売する予定はなかったので、最初は小さいオーブンと冷蔵庫、流し台しかないスタートでした。しばらくはカフェへ卸すお菓子を計画通り製造していましたが、やはりお客様からの反応をダイレクトに受け取りたいという気持ちが日に日に強くなり、半年後、この場所でお店を始めることにしたんです」パティスリーを退社しておよそ半年後にオープンすることとなった焼き菓子専門店「KUNON Baking Factory」は、すぐに遠方からも人が訪れる人気店に。しかし、その後に待っていたのは帯状疱疹や血尿になるほどの過酷な労働でした。「ロッキング・オン時代に学んだSNSや告知方法を活用し、ありがたいことに徐々にお客様が増えていきました。自分では多くのお菓子を作っていたつもりでしたが、生産性の高い仕事をするのにも技術と設備が必要なんですよね。その後まもなくして、来店してくださるお客様の人数に対して十分なお菓子が作れなくなりました。私は修業期間が短い分、生産力が低かったんです。失敗して多くのロスを出し夜中に材料を買うために自転車で爆走したり、指導してくれているシェフに泣きながら『生地がこんな風になっているんですけど、大丈夫ですか? 』と電話したり…。当時は必死でしたが、今思えば、とても恥ずかしいエピソードばかりです。疲れ果ててベッドまでたどり着けず自宅の床で寝る生活が続いたら、体が悲鳴を上げて帯状疱疹が一気に出て、血尿まで。また私が仕事に打ち込みすぎて、家庭のほうもおろそかになってしまいました。製造スタッフを1人雇って手伝ってもらいましたが、オープンしてから1年ほどはまともに寝られない過酷な時期が続きましたね」そして、久野さんは妊娠と出産を迎えることに。後編では、大きなライフイベントを経た久野さんが考える、お客さんに選ばれ、子育てと両立できる店づくりを紹介します。 About Shop KUNON Baking Factory 東京都江東区北砂4-29-14 営業時間・定休日:完全不定期(Instagramで告知) Instagram:@kunon_baking_factoryアデコ株式会社.“全国の小中学生1,800人を対象にした「将来就きたい職業」に関する調査:男子の1位は「サッカー選手」、女子の1位は「パティシエ」“.アデコ コーポレートサイト.2024-04-22, ME】なぜ大勢いた女性パティシエの大半が辞めてしまうのか? 高い離職率の製菓業界「若手の本音」”.2024-06-25,
ウフ。編集部 磯部美月