保育士から27歳でお菓子の道へ! 子どもがいても働き続けられる店づくり「KUNON Baking Factory」久野綾乃さん(前編)【女性パティシエの履歴書vol.1】
保育士から27歳でお菓子の道へ! 子どもがいても働き続けられる店づくり「KUNON Baking Factory」久野綾乃さん(前編)【女性パティシエの履歴書vol.1】
小中学生女子の将来就きたい職業ランキングで、5年連続1位に輝いた「パティシエ(お菓子職人)」(※1)。しかし、25歳以下ではパティシエ全体の8割以上が女性であるにもかかわらず、46歳以上では男女比が逆転(※2)。長時間労働とライフイベントとの両立に悩み、多くの女性が離職しているのが現状です。現在活躍している女性パティシエは、どうやってキャリアを積み、どのようにプライベートと両立していったのか? 女性パティシエの働き方に迫る連載1回目で紹介するのは、焼き菓子店として始まり、現在は予約制パフェでも人気を博する「KUNON Baking Factory(クノン ベイキング ファクトリー)」店主の久野綾乃さん。過去と現在、そして将来の夢について語っていただいたお話を、2回にわたってお届けします。※1)アデコ株式会社.“全国の小中学生1,800人を対象にした「将来就きたい職業」に関する調査:男子の1位は「サッカー選手」、女子の1位は「パティシエ」“.アデコ コーポレートサイト ME】なぜ大勢いた女性パティシエの大半が辞めてしまうのか? 高い離職率の製菓業界「若手の本音」”
人気焼き菓子店からパフェの名店へ
南砂町にお店を構える「KUNON Baking Factory」。2019年に週2営業の焼き菓子店としてオープンし、久野さんの妊娠・出産による営業休止を経て2021年から再開。2024年からは予約制のパフェも提供して人気を集めています。久野さんのパフェの大きな特徴が、彼女の出身地である静岡県産の素材がふんだんに使われていること。農園まで足を運んで選んだフルーツは収穫後数日のうちにお店に届き、パフェに用いられるのだそう。パフェの専門家や有名パティシエも魅了するその味わいは、一度食べたら忘れられません。
児童養護施設の職員から教員、そして広報へ
「KUNON Baking Factory」店主の久野綾乃(くの あやの)さん短期大学を卒業した後、保育士として児童養護施設や自立援助ホームで5年間勤務していた久野さん。「人生観が変わる、やりがいのある仕事でした」と、当時のことを振り返ります。「児童養護施設や自立援助ホームでは、様々な事情で親と一緒に暮らしていない子どもたちが生活しています。子どもたちの安定した生活環境を整えるとともに、生活と学習の指導、家庭環境の調整をおこなうのが仕事です。特に自立援助ホームでは15歳から20歳(状況によって22歳まで)の高年齢の子どもが入所するため、経済的にも精神的にも社会に出て自立できるよう、子どもたちと様々な関わりを持ちました。そんな中、苦しみながらも日々成長し葛藤する子どもたちがリラックスし、笑顔が見られる場面が多かったのが、食事とおやつの時間です。その中で、美味しいものを共につくり、食べることは心(精神)を満たすことだと強く感じました。子どもたちとの食事の場面での楽しいエピソードは今でも数え切れないほど記憶に残っています」教員時代久野さんはその後、児童福祉の経験をもとに保育専門学校の教員に転職。約2年半生徒を指導した後、未経験で音楽雑誌を中心に手掛ける有名企業『rockin'on(ロッキング・オン)』の広報に…! ガラッと職種を変更したのは、一体なぜ? 「結婚したこともあり、改めて女性としてのライフプランを考えました。また、児童福祉の分野でしか経験がなかったですし、別の角度から世の中を見てみたいという気持ちもありましたね。契約社員で働ける好きな音楽系の仕事を探したところ『rockin'on(ロッキング・オン)』の募集を見つけ、応募に至りました。入社後は日本を代表するフェスの広報に配属され、何十万人を動員するイベントに携わりました。アーティストの出演発表に伴う情報解禁の調整、公式サイトやX(旧ツイッター)、メルマガ、フェイスブックの更新など、担当が上司と私の2名体制だったため多くの実務を担当しました。そのほかのイベントやコンテンツも担当して仕事は多岐にわたりましたが、得るものは多く、全てが新鮮でした。物販やマーケティングについての知見を得たのもこのときです。何百万人が目にする広告物や媒体、SNSに関わることで消費者の購買行動の流れをはっきりと感じられました。人が何に興味を持ち、情報を得て購買フローまでたどり着き、購買し、その後情報を拡散していくのか、これは今までにない感覚でした。社内でよく言われていた“企画が大事“という考えが、今の店の商品開発にもつながっています。『売れる商品を生み出すためには、イメージするターゲットに興味を持ってもらうための糸口が必要なんだ』と教わって。日本トップクラスのアーティストやクリエイターと関わるうちにだんだんと、“自分も何かを生み出せる人になりたい”と思い始めました」