【1970年大阪万博】捨てられなかった8ミリビデオ デジタル化で蘇る40年前のニュータウンと家族 時代とともに成長していく家族の時間とは?
大阪万博をきっかけに普及したカラーテレビ。開会式はカラーで生中継され、「映像を家で見る」文化が根付きました。電機メーカーによるホームビデオの開発が進んだのもこの頃。80年代に入り、小型の8ミリビデオテープに記録するカメラが登場すると一気に普及しました。8ミリビデオカメラは、核家族化が進むなか、子どもを育てる若い夫婦の必需品となっていきます。 先ほどの中山さんの自宅を訪ねました。今はかつて住んでいた団地のそばのマンションで暮らしています。 (中山都記子さん)「ここにダーッってある…。何本でしょう、4.50本ですかね」 いまビデオカメラは無くなり、タンスにテープだけが残っています。子どもが好きで幼稚園の先生だった中山さん。結婚し千里の団地で夫と暮らし始め、2人の子どもに恵まれました。今は子どもも独立し3人の孫がいます。40年近く前を記録しずっと眠っていた8ミリ。そこには当時の団地の暮らし、彼女が作り始めた家族が映っているはず。 (カメラマン)「お借りしていきます」 家族の思い出が詰まった大事な8ミリです。劣化した部分も修復しながらデジタル化していきます。
デジタル化した8ミリビデオ そこに映っていたのは…
【2024年7月】 デジタル化された映像の始まりは生まれたばかりの長男・翔大さんの姿でした。 (中山都記子さん)「うわーなつかしい」 (ビデオ音声)「しょうたくん~こっち向いて」 結婚し団地に越して2年目、誕生した我が子を撮ろうとビデオカメラを買いました。 (中山都記子さん)「いやーかわいい、うそ」 (ビデオ音声)「もしもし翔大くんですか?」「翔ちゃん何してんの、ただいま」 お父さんは土曜日も働いていた時代。少ない休日には子どもを喜ばそうと夫婦でいつも工夫を凝らしました。 当時の団地は子どもで賑わい、2,3棟ごとに子供会ができるほどでした。 (中山都記子さん)「どこにでもある風景。どこの家でもそれぞれにある。いま振り返ると本当に幸せな時間ですよね。そこから先、色んな事が歳を重ねるにつれ、あるじゃないですか。子どももどんどん大きくなって、今から思ったら普通に何も思わずに生活していた。必死だったからね。この歳になるから思うけど、すごい感謝ですよね。いろんな人にね」